体力
- 作者: 森博嗣
- 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
- 発売日: 2017/01/13
- メディア: Kindle版
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人につき合わない。食事は自分のペース。毎日決まった時間に寝て、決まった時間に起きる。どんなことがあっても、無理はしない。それが、僕の肉体の使い方なのである。
森博嗣氏は30年以上この肉体の使い方を守り続けているという。
体力がないということを自覚しているが故に、管理を徹底する。
言われてみれば当たり前だけれど、私はどうにも己の修行不足を棚に上げているように思えて実践してこなかったが、事ここに至って漸く努力の問題ではない(努力するにしても割りに合わない)と思えてきた。
これまた当たり前だが、人はそれぞれ違う。その人の素質というものがある。どんなに不規則な生活をしても平気の平左である人もいれば、少し無理をしただけで音をあげる人もいる。
といっても、素質だけで全てが決まるわけではない。幼い頃ずっと病弱だった方が、少しずつ訓練し、今では徹夜で実験したりマラソン大会に参加したりする、なんていう話を聞いたこともある。なので、改善は不可能というわけではないのだろう。
だが、それでも改善するには多大な労力を必要とする。しかも改善は確約されていない。やはりどうにもならなかったということで終わる恐れもある。そう考えると、森博嗣氏の肉体の使い方を見習うのが最善に思える。
ただ、自分は大いに他人に流されやすい。ついダラダラと他人に付き合ってしまう向きがある。出された食事は多少無理をしても食べてしまう。
しかし、これは己の意思次第でどうとでもなる。やるしかない、と己に言い聞かせることとする。
推薦図書
先輩、友人、後輩に近頃薦めてもらった書籍を備忘として貼っておきます。
- 作者: 重松清
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2008/09/03
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- 作者: 重松清
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2002/06/28
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- 作者: 重松清
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 2003/07/31
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模倣犯 全5巻完結セット (新潮文庫) [文庫] by 宮部 みゆき
- 発売日: 2005
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- 作者: 宮部みゆき
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1998/01/30
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- 作者: 秋川滝美,しわすだ
- 出版社/メーカー: アルファポリス
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- 作者: 庄司薫
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Who Gets What (フー・ゲッツ・ホワット) ―マッチメイキングとマーケットデザインの新しい経済学
- 作者: アルビン・E・ロス,櫻井祐子
- 出版社/メーカー: 日本経済新聞出版社
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焦らずとも本は逃げ出しませんので、ぼちぼち読んでいきます。
渡辺ペコ『にこたま』、西尾維新『結物語』
さよならだけが人生だ。そんなフレーズがあります。
私の知る限り不老不死の人間はいませんので、いずれ誰でも死という終着点に至り、この世の縁とはおさらばします。その意味でこのフレーズは正しい。仲が良かろうと悪かろうと、疎遠だろうと身近だろうと、最終的にはバイバイが待っています。
しかしながら、生きているその間においては、別れもあれば出会いもあります。人生という大きな括りでは別離に集約されてしまいますが、括ってしまうまでの道中には幾多の結びつきの生成消滅があるでしょう。一度別れた人と再び付き合うこともあれば、その再び付き合った人と別れてしまうこともあります。
それを諸行無常と悟れれば楽なのでしょうが、なかなかそううまくはいきません。
こちらは友人の恋人さんに紹介していただきました。
どうしても私は「にこたま」と言うととある駅名を思い浮かべずにはいられないのですが、どうも世間では違うようです。
それはさておき、こちらの『にこたま』は、「長年うまくやってきたカップルの片割れがやらかしてしまい、はてさてどうする」というお話。
理性と感情のすれ違いが上手に描かれており、冷静に振り返ると話の展開はかなりぶっ飛んでいるのですが、読んでいる最中は自然な進行に思えます。人生と同じですね。
(以下、浮気されてしまったあっちゃんとその女友達の会話)
人の心ってそもそも自由なものだよね?
あたしたちは自由な意思と選択によって一緒にいるけど
別に契約や約束をしたわけじゃないし
あたしが怒ったり妨げたりする権利ってそもそもないんだよなあって
でもあっちゃんかなしくなかった?
……かなしかったよ
一緒にいる大事な相手を
不愉快にさせたり悲しませないっていうのはルールじゃなくてマナーとモラルだよ
約束や契約がなくても信頼があるならそれ破っちゃダメだよ
不老不死の人間はいませんと冒頭で宣言しておきながら、こちらの作品には不老不死の人間ではありませんがそちらに近い存在が出てきます。
しかしよく考えると不老不死であろうと周りが不老不死でなければ周りが死んでしまって結末は変わりません。自分が残されるか周りが残されるかが変わるだけです。
全く作品にも何も関係ない思考を吐露したところで、『結物語』に話を転じますと、こちらはまさに出会いと別れの物語です。阿良々木暦くんが新しいキャラクターと親睦を深める一方で、旧交を温めたり冷やしたりしています。私の認識では結びとは終息に通ずるものでしたが、終わる気配がないどころか新しいシーズンが始まることとなってしまいました。
無論ここで読むのも買うのもやめてしまうのは私の自由ですが、そしてそれが理性の訴えるところですが、風呂敷を広げられたところで立ち去るのを潔しとしない思いもあります。ままならないものです。
(以下、阿良々木暦くんの熱い台詞です)
大人になるのがつまらないとか、言ってられないだろ。臥煙さんも忍野も、伸び伸び生きてたじゃねえか まあ、あの辺は例外だとしても、大人になるのは、基本的には楽しいことだ。風説課の人達を見ても、直江津署全体を見ても、それはそう思う。高校時代は楽しかった。今も楽しい。嫌なことは昔と同じで今もある。だけど解決してみせる。それでいいだろ
うめざわしゅん『パンティストッキングのような空の下』、伊坂光太郎『砂漠』
身も蓋もないような、考えさせられるような。そんな作品です。
特に「唯一者たち」の最後の方のやりとりが印象に残っています。
高校生の時に幼女に暴行未遂を起こし、10年越しにその幼女に謝ろうとしたものの、「絶対に許さない」という返事をされた主人公(洋一)が吐く台詞が以下のとおり。
苦しい…苦しい…
でもコレは…
あの子の苦しみとは関係なくて…
自分がそんなことをした人間で…この先もそうだってことが…苦しい
こうやって結局自分の苦しみしか苦しめないことが苦しい…
ずっと…ずっと…
なんで俺はこんななのか…なんで俺だけが…
なんで…
なんで俺は…生まれてきたのか…
それに対する、謝るよう働きかけたルイという女の子の返事が以下。
私は生きてるのがすごく楽しい
冬は寒いけどたくさん服を選んで着れるし 近くにできたケーキ屋は大当たりだし もうすぐハンターハンター連載再開するし…川上さん(※ルイの恋人)は超優しいし…
将来は結婚して子供は二人で犬も飼って…
って欲張りすぎ?そんなうまくいかないよね!
でも そうねーあとはあんまり痛くなく死ねればいいかなァ
とにかく!私の人生超すばらしいよ!
でも…
生まれてこないで済んだなら それが一番良かったな
誰だってそうじゃない?みんな自分だけが自分なんだから
「私」という業を人間は生まれながらに背負っているのだということがよく分かります。でも分かったところでどうするのでしょう。よく分かりません。
高校の後輩に薦められて読みました。
一言でまとめるのであれば、大学生5人が砂漠に足を踏み出す前の青春を描いた作品です。その5人の中でも、西嶋くんが群を抜いて面白い。
そうやって距離を空けて、自分たちさえ良ければいいや、そこそこ普通の人生を、なんてね、そんな生き方が良いわけないでしょうに。ニーチェも言ってたじゃないですか。『死にもの狂いの剣士と、満足した豚からも等距離に離れていたところで、そんなのはただの凡庸じゃねえか』ってね
『人間とは、自分と関係のない不幸な出来事に、くよくよすることだ!』
あのね、目の前の人間を救えない人が、もっとでかいことで助けられるわけないじゃないですか。歴史なんて糞食らえですよ。目の前の危機を救えばいいじゃないですか。今、目の前で泣いてる人を救えない人間がね、明日、世界を救えるわけがないんですよ
前半の百数十頁だけでこの調子です。これが面白くないわけがない。
とはいえ、西嶋くんだけではなく、他の4人もそれぞれ時が過ぎる中で変わっていくので、そちらもまた興味深いです。
私はもう砂漠にずぶずぶ嵌っていますが、ちったあもがいてやろうかなという気持ちになれました。
あ、ちなみに今回のテーマは「パンク」です。「これが現実だよ」とかしたり顔で言う大人になってはいけません。現実を殴っていきましょう。
蛍光灯
はて、蛍光灯が妙にチカチカするような。
そう思うのに入居から然程の歳月を必要としなかった。
しかし、実際に対処するには大いなる年月を必要とした。具体的には9ヶ月ほどである。
これで忙しかったのであれば格好はつく。だが、まったく忙しくはなかった。何せ、私は知己から「お前にはついていけない、時間的な意味で」と揶揄されたことのある人間だ。
要は億劫だったのである。
いや、少し弁解させてもらえば、何もしていなかったわけではない。
さすがに蛍光灯を変えるくらいはした。というかそれで解決するだろうと思っていた。
だがしかし、事はそう簡単ではなかった。蛍光灯を交換して暫くは改善したように感じたのだが、気づいたらまた元の状態に戻ってしまったのである。
さて、この時の私の心中は如何許りか。
どっこらせと重い腰をあげ、新しい蛍光灯を買い、古い蛍光灯を取り外し、新しい蛍光灯を取り付け、古い蛍光灯をゴミに出した。そのような重労働をこなし、達成感に満ち溢れていた。にもかかわらず、その天下は百日どころか数日も保たずに崩れ去った。ナポレオンもびっくりである。
そう申し上げれば分かっていただけるだろうか。
挫折した時の反応には二通りある。
何糞と立ち上がるか、もういいかと諦めるか。
私の場合は後者だった。
かのドストエフスキーが喝破したように、人間は慣れる動物なのだから、きっと大丈夫だろう、と。
しかし、悲しいかな、点滅にはいつまで経っても慣れることはなかった。
というか、点滅が規則的ではないため、慣れようにも慣れられなかった。そういうことにしておく。ドストエフスキー先生が間違えるわけはないのだから。
事ここに至って、年末が近づくにつれ、ぎっくり腰になった人がそーっと立ち上がるがごとく、徐々に徐々に「やってやるかあ」という気持ちになってきた。
とか言いながら年は越してしまうのだが、新年になったおかげで昨年とは違う自分になろうという意欲も高まった。
そうして漸く閾値を超え、私は管理会社に電話することにした。
電話のやりとりについては割愛する。ただ一言申し上げるのであれば、私はコミュニケーションというものがあまり得意ではない。
とはいえ日本語のスピーキング能力は一般人並みにはあるので、どうにかこちらの意(蛍光灯を交換したにもかかわらず明滅が治らない)を相手に理解させることはできた。現場の方が外に出ているので日程を調整するとのことだった。
さああとは向こうにお任せだ、と思っていたら、折り返しの電話での返答は意外なものだった。
なんと、照明器具で交換すべきは、蛍光灯だけではなくグローなるものもあるという。蛍光灯の横についているはずだから、そちらを交換せよとの指示が来た。
なんだそれはと混乱し、その勢いで憤りかけたのも束の間、工事の方々との応対がなくなったと思ったら落ち着いた。
蛍光灯を交換できた私の手にかかればグローを換えるのも造作もあるまい。
そう思い、承知した旨を伝えて電話を切った。
さて、じゃあ交換するかと思ったものの、ネットで調べたところグローにも様々な型があるらしい。
実際のグローにその種類が書いてあるとのことだったので、見ることにした。
ところが、ここで大いに焦ることになる。
なんとグローがないのだ。
ネットで見ると、蛍光灯の傍についている小さい円柱状のものがグローとのことだったが、私の視力1.0を誇る曇りなき眼で見る限り、小丸電球というかナツメ球というか、無精紐を何回か引っ張ると点くちっこいランプしかないのである。
動かざること山の如しとどこかで誰かが言っているかもしれない私の精神もこの事態には動揺した。
ただ、もう一度電話することを考えると、それはそれは気が重かった。
どうする。どうしよう。どうしたものか。
一通り逡巡し、悩みに悩み抜いた。一度は携帯電話に手がいきかけた。
しかし、もし万が一私に見落としがあったら申し訳なさやら何やらで一晩悶えることになりそうだと思い、徹底的に検証することにした。
すると、なんと、なんとなんと、ナントの勅令、南斗の拳、あったのである。我が家の照明器具には蛍光灯を取り付ける部分と、それを天井を結ぶ部分があるのだが、後者の器具の側面にグローがあったのだ。なんでこんな死角にあるねん。
こうして今回はこと無きを得た。
といいつつそのあとも、温度計が零下を示す中グローを買いに行ったら最初の電気屋で6個買いたいのに5個しか在庫がなかったとか、そのせいで泣く泣くもう一店まで足を運んだら「いまお守りを配っているんですが、ご家族は何名ですか?」と聞かれて勝手に傷ついたりだとか、色々あったのだが、まあ、要するに、最後まで諦めずに見直すことが大事である。
センター試験に挑んでいる方々に伝えたい。
火のない暮らし
我が家にはコンロがありません。
そう申し上げると「自炊できないだろう」とおっしゃる方も多くいらっしゃいますが、意外と電気の力で何とかなるものです。
というとIHかと思われそうですが、我が家で使っているのはホットプレートです。
象印 土鍋風なべ&すき焼きなべ&溝つき焼肉プレート グリルなべ EP-PW30-TA
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ホットプレートとは言っても鍋もできる優れものです。ただ一人鍋の際にいつもの調子で作ると後悔します(経験談)。
こちらで今まで数多の料理に挑戦してきました。カレー、ハンバーグ、餃子、角煮、親子丼、炒飯。時には成功し、時には失敗しました。
ただ、この前異例の事態が発生しました。炒め物をしようとしたら世界が闇に染まったのです。まさか、お湯を沸かしながらホットプレートを使うだけでブレーカーが落ちるとは。
折悪しく夜だったので漆黒と呼ぶにふさわしい様相でした。火がなく電気も奪われると世界はこんなに暗いのですね。原始の人々はこんな世界に暮らしていたのでしょうか。
実際には太古に思いを馳せる余裕もなく、必死で懐中電灯を探すこととなりました。途中でiPhoneのライト機能に思い至り、事無きを得ました。
技術の力は素晴らしい。
雪
ふと外を見たら雪が降っていました。
私は雪にあまり良い思い出はありません。
子供の頃、雪だるまやかまくらを作ったり、雪合戦をして友人たちと天下を競ったりしたのは良い思い出といえば良い思い出ですが、しかしその美化された過去を台無しにする痛烈な記憶があるのです。
それは、コンクリートの床に頭をぶつけたことです。
雪と何の関係があるのかと思われるかもしれませんが、幼き私は雪を信じたばかりに痛い目にあうこととなりました。
その日は雪が数cm積もっていました。その上を歩けばサクサクと気持ちの良い音がします。柔らかく足を受け止めてくれるその雪は、まるで体育館のマットのよう。
そんな連想をしてしまったがために、幼き私はとんでもないことを思いつきます。そう、この雪ならば、私だって受け止めてくれるだろう、と。
その結果は先述のとおりです。目から火花が飛ぶようでした。あれ以来雪に対する私の信用度はガタ落ちです。銀世界を純粋な目で見られなくなりました。
大人になってからも雪のために冷や汗をかいたことがあります。
その日は数年ぶりの大雪でした。そうなると、都会の誇る鉄道網もひとたまりもありません。
ただ、私はそのとき、満員電車を避けるがためにかなり早く出勤しておりました。
つまり、いつもよりは遅れたものの、定時には間に合うくらいに席につけてしまったのです。
当然、周りの方々は誰もいません。ついでに、他の課も人手不足です。その結果、私が一人で残されることとなりました。なお、当時の私の業務は窓口がメインです。あの時ほど心細い思いをしたことはありません。
何も問題が起きなかったのは不幸中の幸いでした(お客さんも殆ど来なかった)が、孤独の恐ろしさが身に沁みました。仕事はチーム戦です。
まあ、家で一人でこもっている分には何も困らないので、大人しくしていようと思います。