雑記

雑な記録。略して雑記。

「シュタインズ・ゲートゼロ」1-2話


次に観るアニメが枯渇してしまい、そろそろ復習でもしようかと思っていたところに「シュタインズ・ゲートゼロ」が目に入ってしまいました。これは観ざるをえません。


まだ2話しか観られませんが、既にだいぶ引き込まれております。これを機に、記憶が曖昧になっている前作も観直そうかしら。

ノー残業デー

着任早々で手加減してもらっているからか、それとも自分が仕事を把握していないだけなのか、ノー残業デーを守れました。


さて、基本的に弊社は全国一律のルールが多いと勝手に思っていましたが、他県に異動したことでちょこちょこ違いがあるものだと分かってきました。



たとえばノー残業デーもそう。


大都会時代は(もう記憶が薄いので間違っているかもしれませんが)毎週1回通常のノー残業デー(以下面倒なので「通常」。)に加えて月に1回「スーパー」の名を冠するものがあり、「スーパー」だけは守るように言いつかっておりました。通常は努力義務。「〜しなければならない」でなく「〜するよう努めなさい」ということですね。がんばってもだめならしかたない(棒読み)


山に囲まれていた時代は通常は週二回ありましたが、果たして意識している方がいるのか不明でした。決してブラックというわけではなく、帰る人は曜日にかかわらず帰り、帰らない人は曜日にかかわらず帰りませんでした。ただし月に二回、所属部署皆で帰る日と建物全体で皆帰る日が設けられておりました。


そして海に臨む現在、毎週スーパーがあります。毎週あることで強制力は少し下がっているのかなという印象ですが、その日は建物内のトップが鍵を閉めなければならないということで上からの圧力が高めです。それでもって通常がない。



整理すると、

都→通常週1(効力低め)、スーパー月1(効力高め)
山→通常週2(効力なし)、スーパー月2(効力高め)
海→通常なし、スーパー週1(効力まあまあ)

となります。意外とバランスが取れています。総合効力はだいたい同じになるよう配慮しているのでしょうか。



他県に異動なんてマジ勘弁と思っていた時期もありました(というか今でもたまに思うこともあります)が、外のルールを知れることはいいことかもしれません。同じところにしかいないとそこのルールが絶対だと思ってしまいそうですから。

最近観たアニメ:「恋は雨上がりのように」、「ゆるキャン△」、「たくのみ。」、「ReLIFE完結編」、「宇宙よりも遠い場所」

田舎田舎言っていたところより更にアクセスが悪い場所に異動となりました。

Amazonプライム・ビデオが唯一の楽しみとなりつつある現実から必死に目を逸らしています。主に酒によって(今も地酒を呷っています。)。

でもせっかく観たのですから記録は残しておきましょう。

 

①「恋は雨上がりのように

 冴えないファミレス店長(45)に女子高生(17)が恋をする。

それだけでも浮世離れしていますが、店長が文学好きなことで更にふわふわしたアニメに仕上がっています。だがそれがいい

漫画を先に読んでいるとアニメを一層楽しめますので、もしこれからご覧になる方がいらっしゃいましたら今すぐ(ネット)書店に向かうことをおすすめします。

 

②「ゆるキャン△

ふじさんとカレーめん
 

実はついこの前まで甲府に住んでいました。

その時たまたま職場の方にこのアニメの存在を教えていただき、癒されたい時にぼんやり観ていました。

残念ながらキャンプをすることはありませんでしたが、先輩に身延山に連れて行っていただいたり上司や後輩と一緒に富士山の4合目から雲海を眺めたりした思い出が蘇ります。良い2年間でした。

 

③「たくのみ。」 

エビスビール

エビスビール

 

いま私は一人でせっせと日本酒を干しているわけですが、「たくのみ。」のようにシェアハウスで皆でお酒を呑んだらきっと楽しいのでしょうね。しかし他人との共同生活でうまくいく気がしませんのでシェアハウスはきっと無理でしょう。なおさんに蘊蓄を披露してもらいたい人生でした。

 

④「ReLIFE完結編」

 人間っていうのは面倒くさい生き物です。意味とか物語とか本来ないものを求めてしまう。そのせいで色々とこじらせる。もっとシンプルでいいのではないかと思うこともありますが、うじうじゴチャゴチャしているのがたまらなく愛おしく思えることもあります。

 

⑤「宇宙よりも遠い場所

日向が学校を辞めるきっかけとなった友人たちに報瀬が「他人を傷つけたのだから、しれっと謝って水に流そうとするのでなく、その罪を背負っていけ(大意)」と叱りつけるシーンが最も印象に残っています。

そう、過ちを犯した人間は、その罪を忘れてはなりません。時間は無情に流れていきますが、過去がなかったことになるわけではありません。しかし十分に反省したなら−過去には戻れませんが−堂々と未来に向かって胸を張って生きるべきとも思います。

「恋は雨上がりのように」9話

恋は雨上がりのように」を観ると何か文をものしたくなる。不思議なアニメである。

たとえ今、橘さんとその友達の心が離れてしまっているとしても、きっと一緒に過ごしたかけがえのない時間があったと思う。
それはどんなに時が経っても、決して、消えてなくなったりはしないよ。橘さんにとっても、その友達にとってもね。


綺麗事かもしれない。
"Out of sight, out of mind."ということであればまだ良いかもしれない。人はきっかけがなくとも自然と離れていくことがある。
しかし、手酷く裏切られた時はどうなのか。
確かにかけがえのない時間ではあったろう。その時は何よりも大切な時間だったろう。でも、今は……


時が経てば、全て「良い経験だった」と言えるのだろうか。言えたとして、それでいいのだろうか。
よくわからない。

「甘々と稲妻」1話

制服とどなべごはん

制服とどなべごはん

どなべごはんを美味しく食べるつむぎを見て、おとさんは目に涙を浮かべた。その涙は大切なことを見失っていた後悔の涙だったのだろうか。それとも、これからやり直せるという嬉し涙だったのだろうか。


いっぽう私はそれを観て、生きることは最低目標であって、到達点ではないのだよなあということをぼんやりと思った。ただ生きるのではなく良く生きよ。そんなフレーズが脳裏を過った。

「恋は雨上がりのように」7話

君が俺の何を知っているの

ごめん…あんな言い方をしてしまって…
だけど、本当に俺は大した人間じゃないんだ。何をやっても中途半端で、人に誇れることなんて何一つない。

わ、若さっていうのは時に凶暴で乱暴なものなんだ。それでも、その時に感じた感情というのは、いずれかけがえのない財産になる。今はわからなくても…


という店長の一連の台詞にひたすら頷いていた。そして橘さんの真っ直ぐな若さに揺さぶられて行動を起こしてしまう店長に「犯罪!!!!」と心中で絶叫した。私は大人なので表面上は何事もなかったかのように振る舞える。拳は握りしめてしまったけれど。


冗談はさておき、徐々に諦観に侵食されている我が身を振り返って寂寞の念を禁じ得なかった。学校が全てではない。恋愛が全てではない。学問が全てではない。そうして、一つのことに身を捧げなくなり幾星霜が経つのだろう。今の私は純粋ではない。生活が、仕事が、友人が、家族が……

今は、いろいろなことを考える。それは、大人になったとか、一人前になったとか、バランスの取れた社会人になったとか、家庭を持ち、人間として成熟したとか……、そういった言い訳の言葉でカバーしなければならない寂しい状態のこと。
僕はもう純粋な研究者ではない。
僕はもう……。
一日中、たった一つの微分方程式を睨んでいたんだ。
あの素敵な時間は、いったいどこへいったのだろう?


何もしない

しなければいけないことが山積みになっていると、とにかく「あれもしなければいけない、これもしなければいけない」と義務感に急き立てられることがあります。この書類に判子を押して、その書類に記載をして、あの書類をコピーして、Aさんにメールして、Bさんに申し伝えして、Cさんに許可を貰って、甲社に電話して、乙社にFAXして、丙社に郵送して。一つ一つは大した手間ではありませんが、積み重なると常にしなければいけないことがあるような気持ちになります。


仕事はともかくとして、この気持ちを家まで引きずると厄介です。世間についていくために新聞に目を通さなければいけないとか、会話の輪に入るためにテレビを観なければいけないとか、バカにされないためにこれくらいの本は読まないといけないとか。洗濯をしなければいけないとか、掃除をしなければいけないとか、ゴミを出さなければならないとか。


確かに、しておくとよいことではあるかもしれません。新聞、テレビ、本から情報を得ることで役に立つこともあるでしょう。洗濯、掃除、ゴミ出しをすることで住環境は快適になるでしょう。しかし、その程度です。


むしろ、一度全部止めてみるといいのかもしれません。ひたすらぼーっとして、飽きたら散歩して、疲れたら寝る。他人のためにも自分のためにも何もしない。意外と何とかなるかもしれません。何ともならないかもしれません。


でも、なんかそういうのもいいなとふと思いました。それだけです。ちなみに、私は新聞も購読していなければテレビも持っていません。生きることだけ目標にしていれば割と何とかなります。いつか困ったらまた導入を検討しようと思います。