雑記

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『左ききのエレン』のキャラクターについて好きなように語る〜朝倉光一〜

※好き放題ネタバレします。なお私はリメイク版しか読んでいません。他のキャラクターについて語るかも未定です。つまるところ行き当たりばったりです。

朝倉光一。「天才になれなかったすべての人へ」というこの物語の主人公にふさわしく、どこどこまでも凡人です。2巻と15巻の表紙を見比べると別人のようになってしまっていますが、それでも天才にはなれず足掻くことには変わりありません。

 

でもね、この物語を読んでいる方ならご同意いただけるのではないかと思うのですが、光一だって充分凄いのです。なんてったってどんな才能にぶち当たっても未だに何者かになることを諦めていません。自分の100倍絵が上手いエレンに対して「ライバル」と言い放ち、自分のクリエイターとしての才能を否定してくる天才あかりに対しても「俺はまだイチローになりたい」と豪語するなんて、並の凡人には不可能でしょう。少なくとも私には無理です。私は自分を超える強烈な才能に出会って、自分はただ生きて死んでいくだけの存在だと思ってしまいました。とてもライバルだなんて言えませんし、イチローのような何者かになろうだなんて思いません。いやまあ、完璧に諦めたと言えば嘘になります。どこかでまだ自分の可能性を信じていますが、しかしどうすればいいのかはさっぱり分かりません。そして気づけば時間が経って死んでいく予感はしています。それもまた凡人らしい。

 

しかし私と違って光一は全力で足掻きます。あっさり諦めて「どうにかなったらいいなあ」と嘯いている私と違って、エレンという才能に打ちのめされても美大に行き、美大に行ってあかりという才能にまた打ちのめされても目黒広告社に行き、目黒広告社に行って神谷という才能に打ちのめされても柳チームで奮闘します。才能に打ちのめされ、しかもその才能は自分の元を去っていくのに、それでも諦めません。「オレはオレが諦めるまで諦めない」というのは単なるトートロジーに過ぎないように思えますが、光一に言われると説得力があります。

 

もちろん、本物の天才と関わったことによる刺激も大きいと思います。エレンとは高校時代という多感な時期を共に過ごし、あかりとは男女の関係を結び、神谷とは同じチームで働いています。朱に交われば赤くなるという慣用句もありますように、人はその環境に左右されます。凡人であればなおさらです。才能しかないクズの放つ強烈な影響力から凡人が逃れられるとは思えません。

 

この点が私と光一の差なのかもしれません。私は逃げました。才能とぶつかることを避けました。打ちのめされるのが怖かった。ぶつからなければ惨めな思いは避けられます。遠くから眺めていれば素直に称賛できます。自分の醜く小さい部分と向き合わずに済みます。それが間違っているとは言いません。まだ私は自分の人生を否定はしません。これからどうなるかは分かりませんが。

 

そんな私とは異なり、光一は逃げずに才能と向き合いました。彼我の圧倒的な差を自覚していながら、それでも天才たちと正面衝突し、彼らに影響を与えるまでになりました。立ち上がった凡人とまで言われるようになりました。

 

しかし、それでもまだ凡人は凡人です。イチローにはなれていません。そしてこの物語が天才になれなかったすべての人に捧げる物語である以上、光一はイチローにはなれないはずです。イチローになれない光一は足掻いた末にどうなるのか。私が読んでいるリメイク版ではまだ分かりません。私にも光明をもたらすものになるのか、それとも。