できることを探して
人は一人で勝手に助かるだけ。誰かが誰かを助けることなどできない。
『化物語』シリーズの忍野メメがよく使う言い回しです。
初めはこちらのフレーズに諦観を感じていましたが、最近は謙虚という印象を抱くようになりました。
人助けと称して他人のために色々することはできます。
しかし、あくまで最後は相手がどう出るか、です。
だから、できることをしたら、あとは相手次第。
そういう意味だと捉えていましたが、よく考えてみるとメメはもう誰がどう見たって途轍もない手助けをしているわけです。メメの助けあってこそ相手は助かっているわけです。
そうすると、どこかで自分のおかげだと思ってしまいそうですが、そうではないと言い聞かせている。あくまで最後に一歩を踏み出すのは相手だと。
なんだか、そんな風に思うようになりました。
振り返って、自分はどうだろう、なんてふと考えます。
「できることはした。」
そう思って、立ち止まってはいなかったか。
「人事は尽くした。あとは天命を待つだけ。」
そうして、どこかでブレーキをかけていなかったか。
無論、できることには限りがあります。それは間違いありません。時間も能力も有限です。
それに、できるからといって全力を出し尽くすのが正しいとは限りません。マラソンなのに短距離走をしてはすぐにバテてしまいます。
しかしながら、そうして小賢しく考えて、出せるものも出していなかったのではないか。
力を温存すると言いつつ、単に手を抜いていたのではないか。
共倒れを危惧したのではなく、我が身可愛さだったのではないか。
反省は尽きません。
そうして思いを巡らせたところで、結果論としては、「したことができたこと」ということになります。
いくら過去を反芻したところで歴史は変わりません。
今あるいはこれからどうするか。
これからできるようになるため今何をするか。
茫漠としたことをつらつらと書いてきましたが、結論としては、「何はともあれ生きよう」ということになります。
死んだら何をするも何もありません。
生きてはじめて何かできます。
傷ついて死にたいと思うこともあります。
傷つけて死にたいと思うこともあります。
死は救いだ。死は解放だ。そう思うこともあります。
でも、死んだらおしまいです。
跡は残るかもしれないけれど、傷はいずれ癒えます。
傷を負ったからこそできることもあるかもしれません。
できることがあるかもしれないなら生きよう。
何もできないと思っていたって、生きるということができているのだから生きよう。
この文章を読んでいるなら読むことだってできるのでしょう。
世界人口70億のうちこの文章を読める人が何人いることか。
たったの1億人かそこらでしょう。2%もない小さな枠に滑りこんでいるのです。
そんな文を書いている私も凄い。よし、生きよう。
今日、たまたま大きな流れ星を見ました。
一瞬の出来事だったので、3回願うことなどできるはずもありません。
でも、私は綺麗事が好きなので祈っておきました。
「みなさん笑顔でありますように」
この文章を読んでいる貴方に、そしてこの文章を書いている私に(笑)、どうか幸あらんことを。
- 作者: 西尾維新,VOFAN
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