雑記

雑な記録。略して雑記。

「SHIROBAKO」12話までについて

私は現在「SHIROBAKO」というアニメを観ている。「SHIROBAKO」とは、一行で説明するなら「アニメ制作を描いたアニメ」である。
標題から推察されるとおり、12話まで観た。というか先ほど12話を観終わった。
12話の感想を一言で述べれば、最高である。その勢いでこの文章を書き始めた。
しかし12話の盛り上がりから少し冷静になると、「SHIROBAKO」の巧みさに気づく。
どう巧みかというと、「労働」というものの多様な側面をよく描いているのである。



例えば高梨太郎というお調子者で実務能力が著しく低いキャラクターがいる。高梨は人と人との間に立てばいらんことを言ってこじらせ、それでいて自分は悪くないと主張する。はっきり言ってしまえば会社のお荷物である。
しかし会社という組織で働いていれば、お荷物だからといってサヨナラバイバイとはいかない。お荷物を抱えていてもうまく回していかなければならないのである。
お荷物といえばもう一人、木下誠一という監督もいる。この方はスイッチさえ入れば有能なのだが、いかんせん気分屋というか不真面目というか、コントロールが難しい。それでも上手に制御して作品を作り上げていかなければならない。



また、新人原画の絵麻や声優の卵であるしずかが口にする「食べていかなければならない」という台詞もアニメらしからぬ世知辛さを醸している。「働かざる者食うべからず」というが、実際には働かないと食っていけないのである。まず食べるために働く。自己実現だなんだは二の次である。当たり前だが、死んだら人生おしまいなのだ。それに死なないまでも生計を立てるだけで精一杯では他に目を向ける余裕がないだろう。



さらに、美沙の「先が見えるって辛いよ」と音響の方の「仕事って続けないと面白くならないから」という台詞のコントラストについて、社会人の皆さんは思うところがあるのではなかろうか。同じ仕事を続けていくことで奥の深さが分かることもあれば、広がりのなさに絶望することもある。美沙は会社を辞めてしまったが、もし続けていたら車の世界の奥深さに目覚めたとも限らない。どちらが正しいとも言えないが、それでも決断しなければいけないのが人生である。厳しい。



あと、あおいが夢とか目標とかがないことにしばしば悩むのも、働いていると身に沁みるものがある。食べていけて休日があれば御の字という考え方もあるけれど、平日の大半を仕事に持っていかれていることを考えると、ただ漠然と働くということが恐ろしくなる。周囲が夢を持っていれば尚更だ。



思いついたことを適当に書いたらとっちらかってしまったが、斯様に「SHIROBAKO」では人間関係やら理想と現実の乖離やら労働につきものの面倒臭さがうまく描かれている。
だからこそ紆余曲折ありながらも大団円を迎えた12話が泣けるのである。
働くことで悩んでいる方は是非鑑賞されたい。