北方謙三『水滸伝』、森博嗣『すべてがFになる』
埋没するのは容易く脱出するのは難しい。
それがシリーズ物である。まるで麻薬のようだ。
2017年は手を広げようと思っていたが、年末から2つのシリーズ物に迂闊にも手を出してしまったせいで、そちらの片が付くまで他に取りかかれそうにない。
一つ目は、北方水滸伝である。高校生か大学生のときに一度通読したものの、また読みたくなって手を出してしまった。たぶんモヤモヤしたものを吹っ飛ばしたくなり、こういう熱い物語を読みたくなったのだろう。年末は何かと過去を振り返ってしまうから。
19巻と長くはあるが、1巻1巻はさほど重くないので、するする読める。そこがまた憎い。手が止まらないのだ。
おまえがまずやることは、旅をしながら体力を回復することだ。それから、心の傷を内側に閉じこめておけるようになることだ。冷たい言い方かもしれぬが。
(魯智深が奥方を亡くした林冲に放った台詞である。あるいは悲しみ一般に当てはまることかもしれない。)
二つ目は森博嗣のS&Mシリーズである。こちらは『喜嶋先生の静かな世界』を読んで、また森博嗣の作品を読みたくなったというのが籠絡されたきっかけである。北方水滸伝とは異なり熱い物語ではないけれど、どこか純粋であるという点では似ている。
こちらは10巻だが、北方水滸伝より1巻1巻が重いので、なんだかんだ同じくらいのタイミングで読了しそうな予感がしている。
意味のないジョークが、最高なんだ。
この犀川先生の思想には大いに共感するところがある。ジョークたるもの空虚であるべし。
よくよく考えると、こちらが2017年最初の記事だった。今年もよろしくお願いします。