雑記

雑な記録。略して雑記。

原論『労基署は見ている。』

 

本屋でたまたま見かけて気になってはいたものの、「買うほどではないか」と思っていたら図書館で発見したので借りて読んでみました。

 

著者の方が元労働基準監督官でバリバリ現場で活躍されていたようで、体験談がふんだんに盛り込まれていて読みやすいです。「臨検監督対策のために」とか「労働法について勉強したい」とか真面目な動機で体系的な記述を期待すると裏切られるかもしれませんが、いま巷を賑わせている労働基準行政の雰囲気を知りたいという方にはおすすめです。監督官の仕事から内部事情まで縦横無尽に語っています。

 

印象に残ったのは「労働基準監督署は労使関係においてあくまで第三者である」と何度も強調しているところです。主役は労働者と使用者であり、監督署は2者が円滑な関係を築くお手伝いをするだけなのです。「お上が言うから」ではなく労使ともども自分が主役だという自覚を持って快適な職場環境を形成していかなければなりません。

監督官の指摘というのは、ある意味で、これまで会社が見つけることがなかった「リスク」を洗い出してもらうことである。だから、 法違反を是正するという方法で、このリスクを削減すれば、今後の事故は避けられる可能性が高くなる。事故が起きなかったり、トラブルが発生しなかったりと、本来会社が見つけなければ遭遇してしまったであろう問題を、無料で診断し、アドバイスしてもらったと思うなら、これほど有益なことはないはずだ。

監督官から数多くの指摘を受けた場合、交付した監督官を嫌な奴だと思うのか、リスクを見つけてくれてありがとうと思うのか、その思考方法を変えるだけでも今後の会社が変わってくることだろう。会社にとって、臨検監督でやってきた監督官の「当たり」「外れ」はいったいどちらなのだろうと考えた場合、長い目で見たら違う答えが出るのかもしれない。

 

 あと、当たり前と言えば当たり前なのですが、病気と同じく予防が重視されてきているのだなと感じました。事が起きてから対処するのではなく、そもそも事が起きないようにすること。言うは易く行うは難しですが、本来そうあるべきということを忘れずにいきたいものです。

整理

そろそろ今の勤め先から異動になることもあり、色々と整理しなければいけない時期になってきています。
と言いながら仕事も家も片付いているかというと怪しい。特に仕事は無計画に年度末に突入したせいで引き継ぎをうまくできるか心配になってきました。

元来私は整理というものが苦手でした。本も気まぐれに買ったせいで未だに実家に大量の蔵書を置きっ放しですし本以外は物を殆ど持っていないから一見整理されているように見えなくもないだけで数少ない物はその辺に置いてありますし知識も体系だっていないですしデスクはパソコンの周りに書類を積みまくりですし振り返れば前の所属から異動した時も最後の日に書類を捨てたり引継書を作っていたりしましたし整理が苦手というか計画性がないのかもしれません。この文章もまるで整理されていませんし思いつきで書き連ねてますし。

まあなるようになりますか。これだから改善しないと言われたら困りますが。

坂戸佐兵衛(原作)旅井とり(作画)『めしばな刑事タチバナ』28、柏木ハルコ『健康で文化的な最低限度の生活』6、島本和彦『アオイホノオ』1

ぶらぶら歩き回っていたら疲れたので一先ず記録だけ残しておきます。

(さすがにこのまま放置は寂しいので追記)

 『めしばな刑事タチバナ』を読んでいると長期連載と如何に付き合うべきか考えさせられます。手を変え品を変え身近な食について蘊蓄を披露してくれるものの、「世界を支配している魔王を倒す」とか「隠された秘宝を手に入れる」とか分かりやすい大目標がないので時折「何をしているのだろう」という気持ちになります。しかしよく考えたら人生も同じような毎日の繰り返しです。自分が何もしなければ手を変え品を変えてくれることもありません。となると、『めしばな刑事タチバナ』という長期連載を楽しめないということは人生という長期連載を楽しめないということになるのではないか。いずれにしても材料は用意されているのだから自分で料理する姿勢を示さなければならないのではないか。そんなことを考えてしまうくらいには集中できていません。

 

失踪日記』や『アル中病棟』をたまに読み返してしまう身としては染みるものがあります。迷惑をかけているという自覚があるだけに他人に頼れず、自暴自棄になった末に更に他人に迷惑をかけてしまうという悪循環は身に覚えがありすぎてつらいです。

アルコール依存症は否認の病」というフレーズが出てきますが、アルコールに限らず何かに依存している人には当てはまるのではないかと思わずにはいられません。

「自分は何かに依存しているわけではなく、仮に依存しているとしても、そのこと以外に何ら問題はない」

こう言語化すると「んなわけねーべ」と思ってしまいますが、言葉で分かっていても行動がついてこないことが多々あります。なかなか自覚するのは難しいものです。だから他人の目が必要なのでしょう。友達が欲しいですね(遠い目)

 

アオイホノオ 1 (ヤングサンデーコミックス)

アオイホノオ 1 (ヤングサンデーコミックス)

 

この漫画を読んで笑い飛ばせるか笑いながらもどこか自分に通ずるものを感じてしまうかでその方の調子が分かるような気がします。私は当然後者です。

そうはいっても焔燃は腹筋をつけただけ立派です。以上です。

武者小路実篤『友情』

 

友情 (新潮文庫)

友情 (新潮文庫)

 

読み終わった直後は失恋した野島に涙を禁じえませんでした。

ただ失恋しただけでなく、唯一無二の友に見初めた女性の心を掴まれてしまったのです。

しかも友にも女性にも責められるところがありません。友は充分に野島のことを慮っていました。女性も自らの思いに正直であっただけです。

さらに友と女性の熱情は野島の理想の恋なのです。(些かアナクロニズムの感はありますが)女が男を支え、男は仕事で応える。己が夢見ていた恋を友が実現しているのを眼前に叩きつけられたのです。

しかし友にも女性にも当たることはできません。野島には何も残っていません。ただ孤独なだけです。なんと悲惨な話でしょう。

「自分は淋しさをやっとたえて来た。今後なお耐えなければならないのか、全く一人で。神よ助け給え」

 

 

しかし、改めて冒頭に戻ると次のような言葉が綴られていました。

人間にとって結婚は大事なことにはちがいない。しかし唯一のことではない。する方がいい、しない方がいい、どっちもいい。同時にどっちもわるいとも云えるかも知れない。しかし自分は結婚に就ては楽観しているものだ。そして本当に恋しあうものは結婚すべきであると思う。しかし恋にもいろいろある。一概には云えない。この小説の主人公は杉子と結婚しなかった為に他の女と結婚したろう。そして子が生れたろう。その子が男で、大宮と杉子の間に出来た女の子を恋して結婚するということも考えられないことではない。そして両方がお互に生れたことを感謝しあうと云うこともあり得ないことではない。

夫婦のことは何処か他の処で書こう。

自分はここではホイットマンの真似して、失恋するものも万歳、結婚する者も万歳と云っておこう。

少なくとも作者は悲惨とは捉えていないようです。 最初の段落は「どっちもいい」とか「一概には云えない」とか言っていて何も主張していないようですが、つまるところ人間どう転ぶか分からないということのように読めます。そしてどう転ぶか分からないなら真っ直ぐに生きたほうがいいのだということで、最後の段落の「失恋するものも万歳、結婚する者も万歳」に繋がるのかなと。失恋した野島も結婚するであろう大宮と杉子も、結果はともかく、それぞれが自分の想いに真っ直ぐでした。それは素晴らしいことです。

 

野島は恋に敗れました。しかし戦って敗れたのです。諦めて敗れたわけではありません。さっさと諦めれば傷は浅いでしょうが何も残りません。がっぷり四つに組み合い敗れたならその経験は己に刻まれます。そう考えると、何も残らずただ孤独になっただけではないのでしょう。

君よ、僕のことは心配しないでくれ、傷ついても僕は僕だ。いつかは更に力強く起き上るだろう。これが神から与えられた杯ならばともかく自分はそれをのみほさなければならない 

吉本ばなな『キッチン』

 ふと大昔に途中まで読んで放り出していた小説を読んだ。

キッチン (新潮文庫)

キッチン (新潮文庫)

 

目次に並んでいるのは以下の4つ。

  • キッチン
  • 満月—キッチン2
  • ムーンライト・シャドウ
  • そののちのこと(文庫版あとがき)

このうち私の心を最も引いたのは「そののちのこと(文庫版あとがき)」であった。

「キッチン」を読んでいても「満月—キッチン2」を読んでいても「ムーンライト・シャドウ」を読んでいても何処か腑に落ちなかったが、「そののちのこと(文庫版あとがき)」で少しスッキリしたからだ。

 

感受性の強さからくる苦悩と孤独にはほとんど耐えがたいくらいにきつい側面がある。それでも生きてさえいれば人生はよどみなくすすんでいき、きっとそれはさほど悪いことではないに違いない。もしも感じやすくても、それをうまく生かしておもしろおかしく生きていくのは不可能ではない。そのためには甘えをなくし、傲慢さを自覚して、冷静さを身につけた方がいい。多少の工夫で人は自分の思うように生きることができるに違いない

 

ほんの少しずつではあるが「そうかもしれないなあ」と思っていたことを上手に言葉にしてもらった気がし、

 

愛する人たちといつまでもいっしょにいられるわけではないし、どんなすばらしいことも過ぎ去ってしまう。どんな深い悲しみも、時間がたつと同じようには悲しくない。そういうことの美しさをぐっと字に焼きつけたい

 

そうか、それを「美しい」と捉えるのか、と感心した。 

 

どうにもやりきれなくなった時にまた読みたい。

ヘミングウェイ『老人と海』、pha『人生にゆとりを生み出す知の整理術』

2018年はもっとてきとーに更新することも自分に許すことでもう少しちゃんと記録していこうと思います。2017年は読んだのに何も記録に残していないことが多すぎました。

老人と海 (新潮文庫)

老人と海 (新潮文庫)

 

年始早々腹痛に独りのたうち回っていた時に読みました。

読み終わってしばらくは老人が最後は少年を求めてしまうあたりに「人間は孤独に勝てないのだ」という絶望を読み取っていたのですが、今は「海の上では老人は気が狂いそうになりながらも最後まで孤高に戦い抜いたのだ」という評価に変わっています。ひとりぼっちになりながらも誰に当たり散らすこともなく、自らの獲物を食い散らしていく鮫にも憎しみを抱くことなく、誰もいない船上で弱音を吐くことがありながらも己の力を振り絞る老人に勇気を頂きました。

なんとなく、『神様のカルテ0』の榛名のセリフを思い出します。

本当に苦しいのは、自分だけが一人ぼっちだって思うことです。そうして、何もかも投げ捨ててしまうことです。そんなの、間違っていますし、悲しいですし、なにより、かっこ悪いです

 

人生にゆとりを生み出す 知の整理術

人生にゆとりを生み出す 知の整理術

 

勉強本というのは得てして可能性(俺はできるぜ!)からスタートしがちですが、この本は諦め(人間は飽きっぽいから仕方ないよねー)からスタートしているような感じで、「肩肘張って勉強するのはどうもなー」という方におすすめです。

巻末で紹介されていた漫画のうちどれから読むか悩みます。