雑記

雑な記録。略して雑記。

中島敦『山月記』、森博嗣『喜嶋先生の静かな世界』、東村アキコ『かくかくしかじか』

我々はしばしば自分のことだけ考えてしまう。

それが良いか悪いかは何とも言えない。

 

 

でも、時として、己を貫き通した結果、他人を傷つけてしまうことがある。しかも、己を貫き通したにもかかわらず何ら成果を挙げられず、結局自分を傷つけることもある。

 

 

とはいえ、他人や自分を傷つけるのを恐れて自分を曲げるのもどうなのだろう。それもまた、他人や自分を傷つけることになるのではないか。他人は責任を感じてしまうかもしれない。自分は後悔するかもしれない。

 

 

つまるところ、どちらが正解というわけではない。しかしながら、選択した結果は背負わなければいけない。

 

 

というわけで、今回のテーマは「エゴ」である。

 

 

山月記

山月記

 

言わずと知れた名作である。

詩人として名を馳せようとした李徴が失敗し、妻子のために役人として働くも、ついには発狂して虎になってしまう。

虎になってもなお詩を諦めきれぬ李徴のもとに、たまたま旧友である袁傪が訪れる。李徴は袁傪に己の詩を託すが、最後にもう一つ頼みがあるという。

お別れする前にもう一つ頼みがある。それは我が妻子のことだ。彼らは未だ虢略にいる。固より、己の運命に就いては知る筈がない。君が南から帰ったら、己は既に死んだと彼等に告げて貰えないだろうか。決して今日のことだけは明かさないで欲しい。厚かましいお願だが、彼等の孤弱を憐れんで、今後とも道塗に飢凍することのないように計らって戴けるならば、自分にとって、恩倖、之に過ぎたるは莫い。

 言終って、叢中から慟哭の声が聞えた。袁も亦涙を泛べ、欣んで李徴の意に副い度い旨を答えた。李徴の声は併し又先刻の自嘲的な調子に戻って、言った。

 本当は、先ず、此の事の方を先にお願いすべきだったのだ、己が人間だったなら。飢え凍えようとする妻子のことよりも、己の乏しい詩集の方を気にかけている様な男だから、こんな獣に身を堕すのだ。

私はこの台詞を吐いた李徴の心境を思うと涙を禁じ得ない。お前は誰よりも人間だと叫びたくなる。

 

 

先日も貼りはしたけれど、紹介はあってなきがごとしだった。

解説で養老孟司氏が夏目漱石の『こころ』を連想したと書いていたが、私は『山月記』を連想した。どこどこまでも研究の道を貫いていく喜嶋先生に、李徴の姿を見た。

山月記』に比べると長い物語なので引用したい箇所は少なからずあるけれど、ここでは研究の道から去っていく者に喜嶋先生が痛烈な一言を囁くシーンを取り上げよう。

 こういう世界にはいられない、という人たちが、少しずつ去っていく。そんな光景を、僕は幾度も見た。恵まれた人の場合は、少しだけ関係のある分野の研究所か、メーカの開発部に就職口を見つけて大学を去っていく。学科の歓送会では、出ていく人は「今までの経験を活かして」と挨拶をする。たまたま横に立っていた喜嶋先生が、僕に囁いたことがある。

「そんな経験のためにここにいたのか」

 喜嶋先生なりのジョークかもしれないから、僕は先生に微笑んで返したけれど、じっくりとその言葉を考えてみると、こんなに凄い言葉、こんなに怖い言葉はない。

 良い経験になった、という言葉で、人はなんでも肯定してしまうけれど、人間って、経験するために生きているのだろうか。今、僕がやっていることは、ただ経験すれば良いだけのものなんだろうか。

 経験を積み重ねることによって、人間はだんだん立派になっていく。でも、死んでしまったら、それで終わり。フリダシにさえ戻れない。

 だから、こういったことを真剣に考えると、涙が出るほど悲しくなる。なるべく考えない方がきっと良い。たぶん、これは感情というものだと思うけれど、できるだけ自分をコントロールして、こういった気持ちを野放しにしない方が生きていくために必要だ、と思う。それに失敗した人たちが、今もどこかで泣いていて、酷いときは死んでいくし、運が良ければ去っていく。いずれにしても、この怖ろしさから逃げるしかなくなるのだ。

 『喜嶋先生の静かな世界』を読んでいると、あまりにも水が綺麗だと普通の魚は生きていけないという話を思い出す。

 

 

誰よりも厳しく、誰よりも優しい恩師であった日高先生に最後まで誠実であれなかった東村アキコ氏の回想録である。

ここで描かれる東村アキコ氏はそれはもう最低である。月謝5000円という破格の安さで絵の指導をしてくださっている日高先生に対して恩を仇で返すような仕打ちしかせず、挙句の果てには余命幾許もない先生を前にしても己の仕事や遊びを優先させてしまう。

しかし、それは全て終わった後だから最低だと分かることであって、当時はそれが精一杯だったのだ。後悔は山のようにあるけれど、でも全力で生きていた。

そんなのは言い訳でしかないかもしれない。しかし、そう納得して生きるしかない。

そのように感じて、「ああ、自分もどうしようもないやつだけど生きよう」という気分になる。そんな漫画である。