雑記

雑な記録。略して雑記。

泣きっ面に蜂

本日は有給休暇を取り予防注射を受けに行きました。
しかし、待っていたのは「午前中しかやっていない」という現実。
事前に調べたものの何科が担当なのかさえ分からなかったので突撃したらこのザマです。
とはいえ、それだけならまだいい。受付の方に土曜日もやっているとお聞きしたのでリベンジできます。
だが、なぜ、どうして、このタイミングで雨が降る。しかも折悪しく別の鞄に折りたたみ傘を入れっぱなしにしていました。
それでもまだ傘を買えるところがあっただけ救いですが、500円ならまだしも1500円と言われて痺れ不可避。足元を見ているのではないかと邪推してしまいますが、値札に細工の痕跡はありません。
嗚呼、この雨は私の涙を天が代わりに流してくれていたのか。そんな妄想が頭を擡げます。
いや、この雨のせいで苦しんでいるのですが。



なんかこう、何もかもダメダメな時は伊勢田哲二先生の『哲学思考トレーニング』の一節を思い出します。

反証が目立たないためについ仮説を受け入れてしまう、というような失敗を避けるためにも反証可能性の考え方は役に立つ。よく、「俺のやることなすことうまくいかない」といって愚痴をこぼしている人がいるが、本当に何一つうまくいっていないのかというと、もちろんそんなことはない。たとえば毎日「会社に行く」という目的のもとに電車に乗り、実際に会社にたどりついているのは、会社に行くという目的の達成に成功しているわけであり、「やることなすことうまくいかない」という仮説の反証となる。ただ、そういうことがうまくいくのはあまりに当たり前なので、それがこの仮説の反証になっていることに気づかないだけである。

実際、有給休暇を取って午前中のんびりでき、靴を磨いたりお菓子を食べたり漫画を読んだり休みを満喫している側面もあるわけです。
そうした側面を無視して、ダメダメだと一概に纏めてしまうのは視野狭窄と言わざるをえません。



漫画を読んでいたらポジティブモンスター略してポジモンなんてのも出てきましたし、ちょびっとだけ前向きにいきたいものです。

哲学思考トレーニング (ちくま新書 (545))

哲学思考トレーニング (ちくま新書 (545))

できることを探して

人は一人で勝手に助かるだけ。誰かが誰かを助けることなどできない。


化物語』シリーズの忍野メメがよく使う言い回しです。
初めはこちらのフレーズに諦観を感じていましたが、最近は謙虚という印象を抱くようになりました。


人助けと称して他人のために色々することはできます。
しかし、あくまで最後は相手がどう出るか、です。
だから、できることをしたら、あとは相手次第。


そういう意味だと捉えていましたが、よく考えてみるとメメはもう誰がどう見たって途轍もない手助けをしているわけです。メメの助けあってこそ相手は助かっているわけです。
そうすると、どこかで自分のおかげだと思ってしまいそうですが、そうではないと言い聞かせている。あくまで最後に一歩を踏み出すのは相手だと。
なんだか、そんな風に思うようになりました。


振り返って、自分はどうだろう、なんてふと考えます。
「できることはした。」
そう思って、立ち止まってはいなかったか。
「人事は尽くした。あとは天命を待つだけ。」
そうして、どこかでブレーキをかけていなかったか。


無論、できることには限りがあります。それは間違いありません。時間も能力も有限です。
それに、できるからといって全力を出し尽くすのが正しいとは限りません。マラソンなのに短距離走をしてはすぐにバテてしまいます。


しかしながら、そうして小賢しく考えて、出せるものも出していなかったのではないか。
力を温存すると言いつつ、単に手を抜いていたのではないか。
共倒れを危惧したのではなく、我が身可愛さだったのではないか。
反省は尽きません。


そうして思いを巡らせたところで、結果論としては、「したことができたこと」ということになります。
いくら過去を反芻したところで歴史は変わりません。
今あるいはこれからどうするか。
これからできるようになるため今何をするか。


茫漠としたことをつらつらと書いてきましたが、結論としては、「何はともあれ生きよう」ということになります。
死んだら何をするも何もありません。
生きてはじめて何かできます。
傷ついて死にたいと思うこともあります。
傷つけて死にたいと思うこともあります。
死は救いだ。死は解放だ。そう思うこともあります。
でも、死んだらおしまいです。
跡は残るかもしれないけれど、傷はいずれ癒えます。
傷を負ったからこそできることもあるかもしれません。
できることがあるかもしれないなら生きよう。
何もできないと思っていたって、生きるということができているのだから生きよう。
この文章を読んでいるなら読むことだってできるのでしょう。
世界人口70億のうちこの文章を読める人が何人いることか。
たったの1億人かそこらでしょう。2%もない小さな枠に滑りこんでいるのです。
そんな文を書いている私も凄い。よし、生きよう。


今日、たまたま大きな流れ星を見ました。
一瞬の出来事だったので、3回願うことなどできるはずもありません。
でも、私は綺麗事が好きなので祈っておきました。
「みなさん笑顔でありますように」


この文章を読んでいる貴方に、そしてこの文章を書いている私に(笑)、どうか幸あらんことを。

化物語(上) (講談社BOX)

化物語(上) (講談社BOX)

夏川草介『神様のカルテ0』、辻村深月『島はぼくらと』

 田舎。

私には縁がないと思っていた。

しかし、気づいたら「田舎」と(少なくとも東京では)称されるところに住むことになった。

「田舎」と言えば何をイメージするだろう。

閉鎖的な人間関係。閑散とした商店街。出ていく若者。残される高齢者。

私の貧困な想像力ではそんなところだろうか。

今回はそんな「田舎」 と言ったら失礼かもしれないが を舞台とした小説を二作取り上げる。

 

神様のカルテ0

神様のカルテ0

 

神様のカルテ』の1〜3巻を文庫で買ったため、0巻も文庫だと思い込んでおり、長いこと検討はずれのところでアンテナを張っていた。

ところが、この度近所の書店を徘徊していたところ、たまたま文芸のコーナーに平積みされていて、思いがけぬ邂逅を果たした。嬉しくて値段も見ずにすぐにレジに持っていった。文庫の2倍の金額が店員さんによって宣告された。4桁……だと……

とはいえ、予想に違わず面白い。医学部時代の辰也と千夏のラブラブストーリー()「有明」、大蔵省がツンデレだと判明する「彼岸過ぎまで」、研修医時代の一止が相も変わらず奮闘する「神様のカルテ」、ハルの前日譚である「冬山記」の4編の短編が収録されている。 中でも「冬山記」のハルの言葉は今の私には染みます。

「でも、山の中でいろんな人に出会って、少しずつ気が付いたんです」

(中略)

「一人ぼっちなのは自分だけじゃない。人はみんなひとりなんだって」

(中略)

「ひとりだってことは、嬉しいことも哀しいことも全部自分が引き受けるってことです。だったら毎日を大切に積み上げて、後悔しないようにしたい」

「でもそれってなんか、すごく苦しいことじゃない?」

(中略)

「本当に苦しいのは、自分だけが一人ぼっちだって思うことです。そうして、何もかも投げ捨ててしまうことです。そんなの、間違っていますし、悲しいですし、なにより、かっこ悪いです」

こちらを読んで無性に山登りをしたくなったけれど、寒くなってきてしまい実現しなかった。かっこ悪い。でも、来年もこちらにいるはずだから、来年こそは。

 

島はぼくらと (講談社文庫)

島はぼくらと (講談社文庫)

 

 気づいたら買っていた。この表現が一番しっくりくる。

いや、hontoの講談社のキャンペーンに便乗したというのは確かに記憶しているのだけれど、でも数多あるキャンペーン対象書籍の中からこの一冊を釣り上げた経緯は全くもって不明だ。辻村深月という名前を前々から見かけてはいたけれど手にとってなかったから気になっていたのだろうか。

とはいえ、出会いこそそんな風にあやふやだったけれど、出会ってからはいともたやすく親睦を深められた。島に暮らす少年少女、そして大人の生活が上手に描かれている。

島生活への反動なのか少し派手で小生意気な源樹・衣花と、穏やかな気候を反映したのか垢抜けず素朴な性格の朱里・新の高校生四人組が、大人と関わりながら思いを深めていく。

個人的にはメインの四人組ではなく、島にやってきた所謂Iターンである本木と蕗子の各々の話が印象に残っているけれど、盛大なネタバレになるのでやめておこう。

 

 

ところで、「医療」という面でも両者は通ずるところがある。といっても、『島はぼくらと』では『神様のカルテ』ほどどストレートに取り上げられるわけではないが、やはり田舎と医療には切っても切れない関係があるということか。高齢者が増加し、過疎化が進めばそりゃ医療が問題になってくるに決まっている。

 

 

なお、現在私の暮らしている「田舎」は店が少ないことを除けば殆ど都会の暮らしと変わらない。あれ、これなんて下位互k(ry

※実際には足、つまりは田舎の必須アイテムこと車及び免許を持っていない私が悪いだけです本当にありがとうございました。

雇用保険の思い出

先日の記事を書いていて、雇用保険関係の仕事をしていた時代をふと思い出した。
当時は苦労することが多かったけれど、今となっては懐かしい。
もしかしたらまた同じような部署に回されるかもしれないので、復習がてら、少し振り返ってみる。
(注:言うまでもなく私個人の思い出話なので、情報として活用される場合はハローワークなどに聞いて裏を取りましょう。)


  • 1週間の所定労働時間が20時間以上の労働者が雇用保険に入る

「31日以上雇用見込みのある労働者が雇用保険に入る」と並んで基本中の基本なのだが、「31日以上〜」は忘れていても問題になるケースが少ないのに対して、「1週間の所定労働時間が20時間以上」は脳髄に叩き込んでおかないと厄介なことになりがちである。あくまで1週間単位で見るので、月や年といった違う単位で労働時間が定められていたら週単位に直さないといけなかったり、「所定」労働時間なので、実働で20時間未満だからといって雇用保険に入れないわけじゃなかったり、何かとややこしい。

知らないと大損害を被るケースがある。というのは、役員の方が知らず知らず雇用保険に入っていて、そのまま退職までいってしまい、そこで初めて役員だと判明すると、役員になったとき(最初から役員だったらそのとき)に遡って雇用保険から抜けないといけないのである。それだけなら退職した方が失業給付を受けられないというだけだが、実は過去に支払った雇用保険料の還付は2年までしか受けられないのだ(※)。たとえば10年役員でその間ずっと雇用保険に入っていたとすると、8年は完全に浪費ということになる。お金はちょっとしか返してもらえず、雇用保険に入っていた記録は全て抹消される。目も当てられない。

※この文はちょっと正確ではない。第一に、退職直前に役員になっていたのであれば、失業給付を受けられる可能性はある。第二に、年度単位で保険料を納めているので、還付はぴったり2年分とは限らない。

法人の役員より該当する事例は少ないだろうが、これも知らないと上と同じような痛い目に遭いうる。
ちなみに法人の役員も同居の親族も「原則」がついていることから分かるように、例外的に雇用保険に入ることもある。この手続きがまた面倒臭い。よって割愛する。

  • 労働契約期間満了による退職は条件によって失業給付を受けられる日数などが変わる

「労働契約期間満了による退職」と一口に言っても、
①更新の有無が明示されていたか
②3年以上契約していたかどうか
③本人が契約の更新を希望していたかどうか
④雇い止めの通知があったか
などによって失業給付を受けられる日数などが変わる。
「労働契約期間満了」という退職事由に限ってもこれだけ考えなければいけない要素があるので、一般に「退職したら失業給付はどうなるのか」という質問は答えるのは本当に難しい。ハローワークに行くとパンフレットやしおりがあるので、そちらを見るのが概要を知るにはいいだろう。



他にも色々とあったような気はするけれど、ぱっと思いついてここに書けるのはこれくらいである。


しかし、風の噂で聞いたところによると、雇用保険法も今年度けっこう変わるようだ。
http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000120714.html
雇用保険料率が下がったり、65歳以上の方も雇用保険の対象になったり、役所側も事業側も計算や手続きが大変そうだ。
と、他人事のように書いたけれど、よく考えたら、また社労士の試験を受けるとすると、このあたりもちゃんと頭に入れておかなければならないのか。


参ったなあと思いつつ、とはいえこういう面倒な制度は勉強しておくと自分や他人の役に立つこともあるものだと前向きに考えることにする。嫌にならない程度にがんばろー

工藤啓『大卒だって無職になる』、いけだたかし『34歳無職さん』

働かざる者食うべからず。

いったい誰がこんな残酷なフレーズを考え出したのでしょう。

食えなければ人は生きていけません。

働かない人は生きていてはいけないというのでしょうか。

そんなことはないでしょう。

 

 

しかし一方で、働かないと生きづらいのも事実です。

無職だと、金銭面はもちろん、精神面もつらい。

周囲の目が厳しいこともあるでしょうが、自分で自分を追い詰めてしまうこともあるでしょう。

そんなとき、読んでほしい2冊を紹介します。

大卒だって無職になる

大卒だって無職になる "はたらく"につまずく若者たち

 

大卒だって無職になる。

こう聞くと、「出た大学が悪かったのでは」と私のような性格の悪い人間は考えてしまいますが、そんなことはないということが本書を読むと分かります。

著者の方は育て上げネットというNPO法人の理事長さんです。こういうと堅い印象を与えてしまうかもしれませんが、本書は物語仕立てで非常に読みやすい。

「無職は甘え」としか思っていない方に是非読んでほしい1冊です。働いている立場から「無職なんてただ働くのが嫌なだけでしょう」と思っていても、働いていない立場から「働けるはずなのに一歩が踏み出せない」と思っていても、本書を読んで気づくところがあるはずです。

物事には多様な側面があります。その全てに目を配ることは現実的ではないでしょうが、「こういう可能性もあるかも?」ということを忘れないことが大事です。

 

 こちらは34歳にして無職を選択したバツイチ女性のお話です。

基本的にはほのぼの無職ライフですが、たまに無職かつバツイチゆえの苦しみが出てきます。でもそのおかげで現実から乖離しすぎず、ちょうどいい距離感を保っており、読んでいて心地よい。生温すぎない適温のお湯に浸かっているとでも言いますか。

上の1冊と異なり有用な情報やらエピソードやらがあるというわけではありませんが、深呼吸するには良い作品です。

 

 

ここのところ「働く」ということについてぼんやり考えることが多くなってきたため、他にもボチボチつまみ食いしています。以下、備忘がてら何冊か貼っておきます。

 

副題が「新卒入社から3年以内の退職を考える」となっているとおり、退職しようか悩んでいる人が読むといいと思います。

 

21歳男子、過疎の山村に住むことにしました (岩波ジュニア新書)

21歳男子、過疎の山村に住むことにしました (岩波ジュニア新書)

 

 『23歳ゆとり〜』のタイトルはきっとこちらから取っているのでしょう。著者が凄まじい行動派ゆえ圧倒されますが、どこどこまでも前向きなので読むと元気が出ます。

 

 

ニートの歩き方 ――お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法

ニートの歩き方 ――お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法

 

 

 以前も取り上げたpha氏の本です。「だるい」が口癖だけあって脱力感がすごいので、肩に力が入りすぎている時に読むといいでしょう。

 

 

作家の収支 (幻冬舎新書)

作家の収支 (幻冬舎新書)

 

 

 少し毛色が違いますが、森博嗣氏の2冊。淡々と書かれているけれど、なぜか読むと夢を見てしまいます。(前者だったら作家になりたくなり、後者だったら研究者になりたくなる。)『小説家という職業』という新書もあるそうなので、いつか読みたい。

 

 

他にも何冊か貼ろうかと思いましたが、脱線が激しい上にとっちらかってきましたので、このあたりで。何はともあれ、生きているのが大切です。最近こればっかり言っている気がしますが気にしない。

地方公務員の失業給付

ネットでタイトルのような文言で検索すると、地方公務員には失業給付がないというような文章を見かける。
この文章は合っているといえば合っているのだが、ちょっと条例を見つつ整理したい。
なお、上のような文章を書いているところでも、最後まで読むとちゃんとしたことが記載されている。
つまるところ、このエントリーは条例から見てしまった自分の鬱憤晴らしである。初めからネットで検索すればよかった。


さて、参考にする条例は神奈川県の法規データ提供サービスから閲覧したものである。
第2編人事第4章報酬、給与等第2節一般職の下の方に「職員の退職手当に関する条例」というものがある。


そして読み始めると、いきなり気力が萎える。
条文なのだから当然と言えば当然なのかもしれないが、訓練を受けていない一般人が読むものではない。
とはいえ、日本語は日本語である。読めないことはないはずである。
ただ、最初から最後まで読み通すのは常人には不可能ということで、適宜飛ばして読む。


我慢しながら1行ずつ目を通すと、第2条の5で退職手当の額の計算方法が記載されている。

(一般の退職手当)
第2条の5 退職した者に対する退職手当の額は、次条から第5条の3まで及び第6条から第6条の3までの規定により計算した退職手当の基本額に、第6条の4の規定により計算した退職手当の調整額を加えて得た額とする。


鬱陶しいところを無視すれば、
退職手当の額=退職手当の基本額+退職手当の調整額
ということになる。


基本額をどう計算するかは第3条に載っている。

第3条 退職した者に対する退職手当の基本額は、次条又は第5条の規定に該当する場合を除くほか、退職の日におけるその者の給料(これに相当する給与を含む。以下同じ。)の月額(給料が日額に定められている者については、給料の日額の21日分に相当する額とし、職員が休職、停職、減給その他の事由により、この給料の一部又は全部を支給されない場合においては、これらの事由がないと仮定した場合におけるその者の受けるべき給料の月額とする。以下「給料月額」という。)に、その者の勤続期間を次の各号に区分して、当該各号に掲げる割合を乗じて得た額の合計額とする。
(1) 1年以上10年以下の期間については、1年につき100分の100
(2) 11年以上15年以下の期間については、1年につき100分の110
(3) 16年以上20年以下の期間については、1年につき100分の160
(4) 21年以上25年以下の期間については、1年につき100分の200
(5) 26年以上30年以下の期間については、1年につき100分の160
(6) 31年以上の期間については、1年につき100分の120
2 前項に規定する者のうち、傷病又は死亡によらず、その者の都合により退職した者(第12条第1項各号に掲げる者を含む。)に対する退職手当の基本額は、その者が次の各号に掲げる者に該当するときは、前項の規定にかかわらず、同項の規定により計算した額に当該各号に定める割合を乗じて得た額とする。
(1) 勤続期間1年以上10年以下の者 100分の60
(2) 勤続期間11年以上15年以下の者 100分の80
(3) 勤続期間16年以上19年以下の者 100分の90


自己都合退職かそれ以外かで料率が定められていて、自己都合なら第1項の料率にさらに第2項の料率をかけて、それ以外なら第1項の料率をかけるということのようだ。
しかし第4条と第5条を見ると、11年以上25年未満金属後の定年退職等の場合と整理退職等の場合の基本額の計算方法が載っている。面倒である。というか、第4条と第5条以外で自己都合でない退職はあるのだろうか。


とはいえ細かいところまで追究したいわけではないので、このあたりは「へーそうなんだー」で済ませる。


では調整額とはなんぞやというと、第6条の4にある。

第6条の4 退職した者に対する退職手当の調整額は、その者の基礎在職期間(第5条の2第2項に規定する基礎在職期間をいう。以下同じ。)の初日の属する月からその者の基礎在職期間の末日の属する月までの各月(地方公務員法第27条及び第28条の規定による休職(公務上の傷病による休職及び通勤による傷病による休職を除く。)、同法第29条の規定による停職、教育公務員特例法(昭和24年法律第1号)第26条の規定による大学院修学休業その他これらに準ずる事由により現実に職務に従事することを要しない期間のある月(現実に職務に従事することを要する日のあつた月を除く。以下「休職月等」という。)のうち人事委員会規則で定めるものを除く。)ごとに当該各月にその者が属していた次の各号に掲げる職員の区分に応じて当該各号に定める額(以下「調整月額」という。)のうちその額が最も多いものから順次その順位を付し、その第1順位から第60順位までの調整月額(当該各月の月数が60月に満たない場合には、当該各月の調整月額)を合計した額とする。
(1) 第1号区分 7万400円
(2) 第2号区分 6万5,000円
(3) 第3号区分 5万9,550円
(4) 第4号区分 5万4,150円
(5) 第5号区分 4万3,350円
(6) 第6号区分 3万2,500円
(7) 第7号区分 2万7,100円
(8) 第8号区分 2万1,700円
(9) 第9号区分 0
2 退職した者の基礎在職期間に第5条の2第2項第2号から第5号までに掲げる期間が含まれる場合における前項の規定の適用については、その者は、人事委員会規則で定めるところにより、当該期間において職員として在職していたものとみなす。
3 第1項各号に掲げる職員の区分は、職の職制上の段階、職務の級、階級その他職員の職務の複雑、困難及び責任の度に関する事項を考慮して、人事委員会規則で定める。
4 次の各号に掲げる者に対する退職手当の調整額は、第1項の規定にかかわらず、当該各号に定める額とする。
(1) 退職した者のうち自己都合退職者(第3条第2項に規定する傷病又は死亡によらずにその者の都合により退職した者をいう。以下この項において同じ。)以外のものでその勤続期間が1年以上4年以下のもの 第1項の規定により計算した額の2分の1に相当する額
(2) 退職した者のうち自己都合退職者以外のものでその勤続期間が0のもの 0
(3) 自己都合退職者でその勤続期間が10年以上24年以下のもの 第1項の規定により計算した額の2分の1に相当する額
(4) 自己都合退職者でその勤続期間が9年以下のもの 0
5 前各項に定めるもののほか、調整月額のうちにその額が等しいものがある場合において、調整月額に順位を付す方法その他のこの条の規定による退職手当の調整額の計算に関し必要な事項は、人事委員会規則で定める。


このあたりで心が折れるが、ざっと目を通し、例外などを無視し、極度に単純化してまとめると、「第1号区分〜第9号区分まで区分があって、それぞれに調整月額というものが定められている。調整月額×60が調整額である」となる。しかしそれでも「第1号区分〜第9号区分とは?」という疑問が浮かぶが、なんとそちらは人事委員会規則で定めるらしい。勘弁してくれ。


ここまで読んで、すでに疲労困憊ながら、退職手当の計算方法を大まかに理解したつもりになった。が、まだ失業したら給付が貰えるのかという疑問が残っている。
読み進めていくと、第10条に行き当たる。

(失業者の退職手当)
第10条 勤続期間12月以上(特定退職者(雇用保険法(昭和49年法律第116号)第23条第2項に規定する特定受給資格者に相当するものとして人事委員会規則で定めるものをいう。以下この条において同じ。)にあつては、6月以上)で退職した職員(第4項又は第6項の規定に該当する者を除く。)であつて、第1号に掲げる額が第2号に掲げる額に満たないものが、当該退職した職員を同法第15条第1項に規定する受給資格者と、当該退職した職員の勤続期間(当該勤続期間に係る職員となつた日前に職員又は人事委員会規則で定める職員に準ずる者(以下この条において「職員等」という。)であつたことがあるものについては、当該職員等であつた期間を含むものとし、当該勤続期間又は当該職員等であつた期間に第2号ア又はイに掲げる期間が含まれているときは、当該ア又はイに掲げる期間に該当するすべての期間を除く。以下この条において「基準勤続期間」という。)の年月数を同法第22条第3項に規定する算定基礎期間の年月数と、当該退職の日を同法第20条第1項第1号に規定する離職の日と、特定退職者を同法第23条第2項に規定する特定受給資格者とみなして同法第20条第1項の規定を適用した場合における同項各号に掲げる受給資格者の区分に応じ、当該各号に定める期間(当該期間内に妊娠、出産、育児その他人事委員会規則で定める理由により引き続き30日以上職業に就くことができない者が、人事委員会規則で定めるところにより任命権者にその旨を申し出た場合には、当該理由により職業に就くことができない日数を加算するものとし、その加算された期間が4年を超えるときは、4年とする。次項において「支給期間」という。)内に失業している場合において、第1号に規定する一般の退職手当等の額を第2号に規定する基本手当の日額で除して得た数(1未満の端数があるときは、これを切り捨てる。)に等しい日数(以下この項において「待期日数」という。)を超えて失業しているときは、第1号に規定する一般の退職手当のほか、その超える部分の失業の日につき第2号に規定する基本手当の日額に相当する金額を退職手当として同法の規定による基本手当の支給の条件に従い支給する。ただし、同号に規定する所定給付日数から待期日数を減じた日数分を超えては支給しない。
(1) その者が既に支給を受けた当該退職に係る一般の退職手当等の額
(2) その者を雇用保険法第15条第1項に規定する受給資格者と、その者の基準勤続期間を同法第17条第1項に規定する被保険者期間と、当該退職の日を同法第20条第1項第1号に規定する離職の日と、その者の基準勤続期間の年月数を同法第22条第3項に規定する算定基礎期間の年月数とみなして同法の規定を適用した場合に、同法第16条の規定によりその者が支給を受けることができる基本手当の日額にその者に係る同法第22条第1項に規定する所定給付日数(次項において「所定給付日数」という。)を乗じて得た額
ア 当該勤続期間又は当該職員等であつた期間に係る職員等となつた日の直前の職員等でなくなつた日が当該職員等となつた日前1年の期間内にないときは、当該直前の職員等でなくなつた日前の職員等であつた期間
イ 当該勤続期間に係る職員等となつた日前に退職手当の支給を受けたことのある職員については、当該退職手当の支給に係る退職の日以前の職員等であつた期間
2 勤続期間12月以上(特定退職者にあつては、6月以上)で退職した職員(第5項又は第7項の規定に該当する者を除く。)が支給期間内に失業している場合において、退職した者が一般の退職手当等の支給を受けないときは、その失業の日につき前項第2号の規定の例によりその者につき雇用保険法の規定を適用した場合にその者が支給を受けることができる基本手当の日額に相当する金額を退職手当として同法の規定による基本手当の支給の条件に従い支給する。ただし、前項第2号の規定の例によりその者につき雇用保険法の規定を適用した場合におけるその者に係る所定給付日数に相当する日数分を超えては支給しない。
3 前2項の規定による退職手当の支給に係る退職が定年に達したことその他の人事委員会規則で定める理由によるものである職員が、当該退職後一定の期間求職の申込みをしないことを希望する場合において、人事委員会規則で定めるところにより、任命権者にその旨を申し出たときは、第1項中「当該各号に定める期間」とあるのは「退職の日の翌日から起算して1年と、求職の申込みをしないことを希望する一定の期間(1年を限度とする。)に相当する期間を合算した期間(当該求職の申込みをしないことを希望する一定の期間内に求職の申込みをしたときは、当該各号に定める期間に当該退職の日の翌日から当該求職の申込みをした日の前日までの期間に相当する期間を加算した期間)」と、「当該期間内」とあるのは「当該合算した期間内」と、前項中「支給期間」とあるのは「第3項において読み替えられた第1項に規定する支給期間」とする。
4 勤続期間6月以上で退職した職員(第6項の規定に該当する者を除く。)であつて、その者を雇用保険法第4条第1項に規定する被保険者と、その者が退職の際勤務していた当該地方公共団体の事務を同法第5条第1項に規定する適用事業とみなしたならば同法第37条の2第1項に規定する高年齢継続被保険者に該当するもののうち、第1号に掲げる額が第2号に掲げる額に満たないものが退職の日後失業している場合には、一般の退職手当等のほか、第2号に掲げる額から第1号に掲げる額を減じた額に相当する金額を、退職手当として、同法の規定による高年齢求職者給付金の支給の条件に従い支給する。
(1) その者が既に支給を受けた当該退職に係る一般の退職手当等の額
(2) その者を雇用保険法第37条の3第2項に規定する高年齢受給資格者と、その者の基準勤続期間を同法第17条第1項に規定する被保険者期間と、当該退職の日を同法第20条第1項第1号に規定する離職の日と、その者の基準勤続期間の年月数を同法第37条の4第3項前段の規定による期間の年月数とみなして同法の規定を適用した場合に、その者が支給を受けることができる高年齢求職者給付金の額に相当する額
5 勤続期間6月以上で退職した職員(第7項の規定に該当する者を除く。)であつて、その者を雇用保険法第4条第1項に規定する被保険者と、その者が退職の際勤務していた当該地方公共団体の事務を同法第5条第1項に規定する適用事業とみなしたならば同法第37条の2第1項に規定する高年齢継続被保険者に該当するものが退職の日後失業している場合において、退職した者が一般の退職手当等の支給を受けないときは、前項第2号の規定の例によりその者につき同法の規定を適用した場合にその者が支給を受けることができる高年齢求職者給付金の額に相当する金額を、退職手当として、同法の規定による高年齢求職者給付金の支給の条件に従い支給する。
6 勤続期間6月以上で退職した職員であつて、雇用保険法第4条第1項に規定する被保険者とみなしたならば同法第38条第1項に規定する短期雇用特例被保険者に該当するもののうち、第1号に掲げる額が第2号に掲げる額に満たないものが退職の日後失業している場合には、一般の退職手当等のほか、第2号に掲げる額から第1号に掲げる額を減じた額に相当する金額を退職手当として同法の規定による特例一時金の支給の条件に従い支給する。
(1) その者が既に支給を受けた当該退職に係る一般の退職手当等の額
(2) その者を雇用保険法第39条第2項に規定する特例受給資格者と、その者の基準勤続期間を同法第17条第1項に規定する被保険者期間とみなして同法の規定を適用した場合に、その者が支給を受けることができる特例一時金の額に相当する額
7 勤続期間6月以上で退職した職員であつて、雇用保険法第4条第1項に規定する被保険者とみなしたならば同法第38条第1項に規定する短期雇用特例被保険者に該当するものが退職の日後失業している場合において、退職した者が一般の退職手当等の支給を受けないときは、前項第2号の規定の例によりその者につき同法の規定を適用した場合にその者が支給を受けることができる特例一時金の額に相当する金額を退職手当として同法の規定による特例一時金の支給の条件に従い支給する。
8 前2項の規定に該当する者が、これらの規定による退職手当の支給を受ける前に公共職業安定所長の指示した雇用保険法第41条第1項に規定する公共職業訓練等を受ける場合には、その者に対しては、前2項の規定による退職手当を支給せず、同条の規定による基本手当の支給の条件に従い、当該公共職業訓練等を受け終わる日までの間に限り、第1項又は第2項の規定による退職手当を支給する。
9 第1項、第2項又は前項に規定する場合のほか、これらの規定による退職手当の支給を受ける者に対しては、次に掲げる場合には、雇用保険法第24条から第28条までの規定による基本手当の支給の例により、当該基本手当の支給の条件に従い、第1項又は第2項の退職手当を支給することができる。
(1) その者が公共職業安定所長の指示した雇用保険法第24条第1項に規定する公共職業訓練等を受ける場合
(2) 厚生労働大臣雇用保険法第25条第1項の規定による措置を決定した場合
(3) 厚生労働大臣雇用保険法第27条第1項の規定による措置を決定した場合
10 第1項、第2項及び第4項から前項までに定めるもののほか、第1項又は第2項の規定による退職手当の支給を受けることができる者で次の各号の規定に該当するものに対しては、雇用保険法第36条、第37条及び第56条の3から第59条までの規定に準じて人事委員会規則で定めるところにより、それぞれ当該各号に掲げる給付を、退職手当として支給する。
(1) 公共職業安定所長の指示した雇用保険法第36条に規定する公共職業訓練等を受けている者については、技能習得手当
(2) 前号に規定する公共職業訓練等を受けるため、その者により生計を維持されている同居の親族(届出をしていないが、事実上その者と婚姻関係と同様の事情にある者を含む。)と別居して寄宿する者については、寄宿手当
(3) 退職後公共職業安定所に出頭し求職の申込みをした後において、疾病又は負傷のために職業に就くことができない者については、傷病手当
(4) 職業に就いたものについては、就業促進手当
(5) 公共職業安定所の紹介した職業に就くため、又は公共職業安定所長の指示した雇用保険法第58条第1項に規定する公共職業訓練等を受けるため、その住所又は居所を変更する者については、移転費
(6) 公共職業安定所の紹介により広範囲の地域にわたる求職活動をする者については、広域求職活動費
11 前項の規定は、第6項又は第7項の規定による退職手当の支給を受けることができる者(これらの規定により退職手当の支給を受けた者であつて、当該退職手当の支給に係る退職の日の翌日から起算して6箇月を経過していないものを含む。)について準用する。この場合において、前項中「次の各号」とあるのは「第4号から第6号まで」と「第36条、第37条及び第56条の3から第59条まで」とあるのは「第56条の3から第59条まで」と読み替えるものとする。
12 第10項第3号に掲げる退職手当の支給があつたときは、第1項、第2項又は第10項の規定の適用については、当該支給があつた金額に相当する日数分の第1項又は第2項の規定による退職手当の支給があつたものとみなす。
13 第10項第4号に掲げる退職手当の支給があつたときは、第1項、第2項又は第10項の規定の適用については、人事委員会規則で定める日数分の第1項又は第2項の規定による退職手当の支給があつたものとみなす。
14 雇用保険法第10条の4の規定は、偽りその他不正の行為によつて第1項、第2項又は第4項から第11項までの規定による退職手当の支給を受けた者がある場合について準用する。
15 この条の規定による退職手当は、雇用保険法の規定によるこれに相当する給付の支給を受ける者に対して支給してはならない。


長い長い長い長い長い長い。いやしかもこれ雇用保険法の条文を引用しまくっている上に括弧が入り乱れていて非常に読みにくい。だがしかし涙を呑んで斜め読みすると、第2項以外は例外のような書き振りである。
よって、第1項だけ少しだけ読んでみると、
退職手当の額÷基本手当の日額=待機日数
となり、
基本手当の日額×(所定給付日数−待機日数)=失業者の退職手当
となるようだ。
なお、
基本手当の日額=賃金日額×45〜80%
で、
賃金日額=最後の6箇月間の賃金総額÷180
である。この部分は雇用保険法を参照した、と言いたいところだが、社労士のテキストに載っているのでカンニングした。45〜80%のところはどう決まるかというと、年齢だったり賃金日額だったりが関係していて面倒なので、これまた割愛する。


ばっさばっさと枝葉末節を切り捨ててきたけれど、それでもヒイヒイ言いながらここまでたどり着いた。
要するに、
「基本は退職手当のみで、失業給付より貰えない場合にはその分補填される」
とまとめられる。


そしてネットで調べてみると、同じようなことがあっさりと書いてあるのだ。いや本当にもう虚しいと言う他ない。
いやいや条例を見たぶん詳しく知ることができたでしょう、と言いたいところだが、せいぜい分からないということが分かったくらいである。
それでもあっさりとざっくりとした結論を見て分かった気になるよりよかったでしょう、と言いたいところだが、今後も学習を深めていくならともかく、このことについては概要だけ知っておけば充分なのである。
まあ、強いて今回の成果を挙げるなら、地方公務員の退職手当を計算する方の大変さが分かった、というところか。そういうことにしておこう。


それにしても、民間なら退職手当+雇用保険というところが多いだろうに、公務員は退職手当しか貰えないのか。(ちょっと調べたら国家公務員も似たようなものだった。)
公務員というとやたら身分が保障されているというイメージがあったので意外だった。
それも含めて、色々と勉強になったということにしよう。

天命を待つ

ここのところ、しんどいニュースが多いです。
一般的なもので言えば、将棋界の不正問題やら某広告会社の過労死問題やら。
半分隠居しているような身なので、大半のニュースは縁遠く感じるものですが、上の2つのニュースは胸が痛みました。
個人的にも、どうしたものかと途方に暮れるニュースがちらほら。

そんなわけで、げんなりして図書館に行って、ぼんやりしながら読むでもなく本を眺めていたら、次のような詩が目に入りました。

いつかくる
きっとくる
たとえその日はとおくても
きっといい日がやってくる

岩手県立盛岡となん支援学校の詩碑に刻まれた生徒の作品だそうです。
この詩を読むと、なんとなく空を連想します。
ぼんやり空を見上げて、力を抜いて果報を待つといいますか、そんな感じ。

身も蓋もないことを言えば、自分一人にできることは限られています。自分のことについても、他人のことについてもそうです。なんでもかんでもはできません。
それに失敗もしてしまいます。力を出し切れないこともあります。
でも、それで絶望するのではなく、まあ、しゃーないなと。人事を尽くさない言い訳にしてはいけませんが、とはいえどうしようもないことはあります。



未だ光明は見えません。たぶん、一難去ってもまた一難という気もします。
しかしながら、この詩のように、あまり気を張りすぎず、適度に肩の力を抜いて生きていきたいなあと思いました。

まいにち富士山(新潮新書)

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