「バタフライ・エフェクト」、三部けい『僕だけがいない街』
過去に遡ってやり直す。それができたらどれだけいいだろう。
今回紹介する2つの作品はどちらもそんな話ではある。主人公が特殊能力を持っており、過去に遡って失敗を取り返そうとする。
しかし、誤ったと思われる選択肢を正すだけで万事解決かというと、そう人生は甘くない。
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作品に全く関係ない話をすると、私は映画鑑賞が苦手である。
pha氏をリスペクトしているから(※)というわけではなく、 激しい音と光を浴びていると気分が悪くなるのだ。「パイレーツ・オブ・カリビアン」を昔観ていたときは車酔いに似た症状を引き起こし、一度退席することを余儀なくされた。大学生になって多少は成長したかと思い、「グランド・イリュージョン」を視聴したところ、最後のほうは頭痛との戦いになっていた。
(※)『ニートの歩き方』に以下のような記述がある。
僕は映画が全く観れない。カルチャー的なものだと小説も好きだしマンガも好きだし音楽も好きなんだけど、映画だけは観れなくて、知り合いと映画の話になると全く入れなくてときどき寂しい思いをする。
なぜ観れないのかと言うと、一時間半や二時間の間、じっと座って同じ画面をずっと見続けるということに精神や肉体が耐えられないのだ。大体四十分くらいで限界がきて、それがどんなに面白い映画だったとしても集中力がなくなって飽きてしまい、体がムズムズしてそのへんを歩き回ったりインターネットを見たり体をぐにゃぐにゃに動かしながら踊ったりしたくなってしまう。
しかしながら私の場合は映画館という特殊な環境の問題であって、映画そのものが悪いわけではない。だからパソコンの画面で観る分には問題あるまい。そう思っていた。
ところが、いざ鑑賞を始めると、1時間を超えたあたりで明らかに身体が不調を訴えてきた。1時間半も経つと頭が割れんばかりに痛み、主人公に倣ったわけではないけれど鼻血まで出てきた。さすがに休憩した。
どうも私は激しい音と光だけではなく残酷な描写も苦手らしい。漫画では得意ではないとはいえ平気だったが、実際の人間が血を出したり苦しんだりしているのを見ると、かなりしんどい。
ただ1時間くらい料理したりゴロゴロしたりしたら随分と回復したので、なんとか最後まで観ることができた。娯楽のはずが一仕事やり終えたみたいな気分になった。
これだけ苦労したから面白いと思ってしまう認知的不協和のようなものもあるかもしれないけれど、映画の内容は素晴らしかった。極度に単純化すると失敗するたびにやり直すだけの物語ということになるけれども、その度に主人公の人生が激変して飽きさせない。時間が巻き戻るというテーマに沿って、最後に最初のシーンに戻ってくるのも律儀である。結末も示唆深い。
しかし、暫く映画は御免である。
その点『僕だけがいない街』は気楽である。アニメを観て漫画も読んだけれど、途中で体調を崩すなどということは一切なかった。そんなん当たり前だが、当たり前って素晴らしい。
「バタフライ・エフェクト」とは毛色が違うけれども、こちらはこちらで1話1話積み重ねていくアニメや漫画の特性を上手に利用している。つまり「次が気になる」と思わせるのがうまい。しかしそれだけに私の数少ない友人の一人曰く「一回観たらもういいかなと思ってしまう」。漫画もおすすめしたのだけれど、残念ながら布教に失敗した。
ただ、それも裏を返せば一回目なら楽しく観られるということなので、未視聴・未読の方には自信を持っておすすめできる。良いセリフも多い。
「人に『夢』とか話しちまってさ……
『実現しなかったらどうしよう?』
とか思わない?」
「別に恥ずかしいとか思わない
…『言葉』ってさ
口に出して言ってるうちに
本当になる気がする」
悪かった部分を考えるウチはダメに決まってるべさ
いい所を伸ばす事を考えな
あたしなんてダメな所だらけだけど
悪い部分に気づくのは
大抵
「終わった後」だべさ
自分に出来る事なんて限られてるっしょ
後から「自分のせい」なんて思うのは
思い上がりってモンだべさ
かなざわふくいきょうとおおさかたかまつ
続きました。ただもはや記憶が曖昧なので、残りの旅程をまとめて記します。
前回は2日目の昼、高岡駅でずぶ濡れになったところまで書きまして、今回はそこから金沢駅に移動したところから始まります。
金沢に着いてまず驚くのは、駅がたいそう立派なことです。情報誌曰く、「金沢駅のシンボル・もてなしドーム」というそうな。
ただ濡れ鼠になっていて既に驚く体力も惜しいような状態でしたので、駅を眺めるのもそこそこに、バスの一日乗車券を買ってさっそく金沢観光を始めました。
とはいえ、服が雨を吸って物理的にも重い身体を引きずるのはぞっとしないので、とりあえずのんびりできそうなひがし茶屋街で降ります。当初はパンケーキカフェfluffyというところでダラダラ甘いものを食べて回復を図ろうとしていたのですが、例によって休業しておりましたので泣く泣く別の店を探しました。このあたりからiPhoneも水だらけになってカメラがうまく機能しなくなり、写真もあんまり残っていません。いったい私はどれだけ日頃の行いが悪いのでしょう。
ただ、霞んだ写真や記憶から推察するに、茶房素心という店でパフェに舌鼓を打ってから近江町市場に移動し、廻る近江町市場寿し本店でのど黒を堪能して宿に帰ったようです。全身から限界だという信号が発されているような調子でしたので、ある意味一人旅でよかったと言えましょう。宿に帰ってからは間もなく床に就いてしまいました。
金沢2日目の朝は早寝したこともあってだいぶ復調しました。雨も上がって歩く元気も出てきましたので、金沢城公園へ。
特にあてもありませんでしたのでブラブラしていましたら、金沢城公園と兼六園を無料でガイドをしてくれるというボランティアの方がいらっしゃいましたので、ありがたくお願いしました。ただ、何ら予習をせずに行ったため、歴史や思い出を縦横無尽に語るガイドさんの話は情報量が豊富すぎて整理しきれず、だんだんと右から左へと抜けていくようになってしまい、申し訳なさががが。また、それでも話についていこうと奮闘した結果、写真を撮るのを失念していました。とはいえ要所を押さえて回ってくださったので、私の思い出には刻まれたということにしておきます。
金沢城公園の有料ゾーンは別のガイドさんがいるということで、金沢城公園の無料ゾーン→兼六園と案内していただいてからは別のところにいくかまた金沢城公園に戻って有料ゾーンを回るかで頭を悩ませることになりましたが、兼六園に入る際に金沢城公園の有料ゾーンにも入れる券を買っていましたので金沢城公園に舞い戻ることとしました。しかし、いくら記憶を辿っても有料ゾーンで誰かに案内してもらった覚えはないのです(展示で係員の方がいるところはありました)が、それはそれとして美しい庭園やら門の内部やらを見られたので満足です。特に門の内部では柱の組み方や建物の構造について模型をつかって詳しく説明されていましたので、建築に興味のある方にとっては垂涎だったのではないでしょうか。なお私は子供の心を失っていないので復元階段の急な傾斜にビビりつつもはしゃいでいました。
階段から転げ落ちることもなく公園を満喫した後は金沢21世紀美術館へと向かいます。21世紀が終わったらどうするのだろうと思わずにはいられませんが、そんな不安を微塵も滲ませずたくさんの人で賑わっていました。このあたりでまた雨が降り始めまして、そんなに時間もありませんでしたので、外に飾ってあった正直なんだかよく分からない立派な展示を拝見したり中に入ってみたり、美術館内をぐるっと一周してみたりして、お金を落とすことなく美術館を後にしました。どこにあるのかよく分からなかった「雲を測る男」を建物の外周を歩いている時にたまたま発見できたのが個人的には印象に残っています。
駅に戻って海鮮丼で腹ごしらえをし、少し時間があったので、金沢最後の思い出として、金沢1日目では果たせなかったパンケーキの夢を安江町ジャルダンというお店で成就してきました。思ったより小ぶりでしたが、海鮮丼直後だったのでちょうどよかったです。コーヒーも美味しゅうございました。
この後は福井で友人と合流し、向こうは翌日仕事だというのに、飲んだり一緒にドラマを観たりぐだぐだ話したり、結局深更に及ぶまで二人で騒いでいました。
福井2日目は、寝不足の友人が仕事に行くのを見送って、福井駅周辺をまずは散策していました。ちなみにこの日も雨です。さすがにちょっと天に恨み言の一つや二つを申し上げたくなってきます。
しかし呪詛の言葉を吐いたところで晴れ間がのぞくわけもなく、以下のルートで黙々と歩いていました。
レ・プレジュール(福井駅近くのカフェ。朝食をこちらでいただいたのですが、空いているしコーヒーはサービスだしパンは美味しいしで非常によかったです。)
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北の庄城址(美(モテ)祈願の宣伝をしていて笑いが止まりませんでした。)
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福井城址(県庁と警察があるところにあります。「福の井」という福井の地名の由来と伝えられている井戸があります。)
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福井市立郷土歴史博物館(福井の歴史をパネルと展示品から学ぶことができます。養浩館庭園の隣にあるので二つ一緒に味わえるのもありがたい。)
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名勝 養浩館庭園(お茶会をされていましたが、そこはかとなく内輪の雰囲気が漂っていましたので、鯉を眺めつつ雨宿りしていました。)
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ヨーロッパ軒総本店(福井名物ソースカツ丼で有名なお店。けっこう並んでいましたが回転も早かったのでそんなに待ちませんでした。)
友人その2と京都で合流することになっていましたが、まだ時間がありましたので敦賀にも行ってみました。
気比神宮と敦賀港周辺を巡ってきましたが、やはり雨の中だと大変ですね。とはいえ、日本三大鳥居の一つとだけあって気比神宮の鳥居は立派なものでした。敦賀港周辺も赤レンガ倉庫やらランプ小屋やら金崎宮やら施設は充実していましたが、いかんせん天気が悪すぎて殆ど回るだけで終わりました。じっくり味わうなら好天のときに行かないと厳しいですね。
そんなわけで再びびしょ濡れになって京都に向かいました。しかし友人その2とは首尾よく合流できたのですが、目星をつけていたお店が混んでいたので急遽大阪へ移動することに。「来るたびにハンバーグが大きくなる」と評判の洋食店もなみというお店へ行きました。味も素晴らしいですが、店長さんが料理しながらも店内の隅々まで目を配っていたのに友人と二人で感嘆していました。
本当はこの日に香川まで行くはずでしたが、時間も時間だったので大阪で一泊することにしました。それならということで社会勉強という名目で飛田新地を見学した後スパワールドというやたら広い温泉施設に赴き、そうしたら終電が詰んだ()ので、残っていた電車でできるだけ近づいてから歩いて宿まで戻りました。
大阪2日目は551蓬莱の豚まんとたこ焼きを食して早々に退散となり、香川に行くならついでに有馬温泉に行こうということで金銀の湯に浸かってきました。温泉も上々でしたが、金泉焼もなかなか美味でした。醤油のしょっぱさと餡子の甘さが絶妙なハーモニーなんですよね。まあ、荷物の都合で買いませんでしたが←
有馬温泉を後にして、いよいよ高松に上陸しました。香川といえばうどんということで、もり家というお店でかき揚げが器からはみ出ているうどんを頂きました。友人曰く「閉店間際だったから残った材料を入れていて、いつもよりさらに大きい」とのことでした。なるほど。
友人も前日自分と合流するまでフルスロットルで動いていたらしく、お互いに疲労困憊でしたので、この日はさっさと寝ました。
とうとう旅行も最終日となりました。うどん県ということで前日に引き続きうどんを楽しむ一方、多少は観光もしてきました。ルートは以下のとおり。
手打十段うどんバカ一代(手打十段ってなんやねんと思いつつも、いざ食事を始めればモチモチのうどんに唸らざるをえません。)
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栗林公園(様々な景観が楽しめる名勝地。しかしここでも建物のなかでうどんの歴史を説明していて笑えました。)
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宮武うどん(だしと麺が両方熱と冷から選べるという面白いシステムでした。なので同じメニューでも熱・熱、熱・冷、冷・熱、冷・冷の4パターンがあります。面白い。)
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銭形砂絵(寛永通宝の巨大な砂絵。何か他にあるのかしらと思ったら本当にこれだけでした。でも調べたら「世界のコイン館」が近くにあるみたいですね。)
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塩江温泉(なんだかんだ3日連続で温泉。露天風呂が(距離が多少はあるとはいえ)道路から丸見えだったので、ちょっと視線を意識してしまいました←)
ついでに高松空港でも肉うどんをいただき、うどん県を堪能してまいりました。
長い旅行もこれにて終わりと相成りました。友人に迷惑をかけまくりだったのは猛省せざるを得ませんが、「また来てね」と言ってもらえたので及第点は取れたと思うことにします。
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一人でいてつらいときどうするか
何度か申し上げたかもしれないが、僕は平日仕事をしている時以外ほとんど一人で過ごしている。
友達が訪ねてきたり、あるいは僕が地元に帰ったりすることもあるけれど、それも1ヶ月に1回くらいだろう。しかもそんな時くらいは楽しく過ごそうと尽力するため、つらくなることはまずない。あるいはつらくても他人にそれを打ち明けることはない。
そうすると、つらいとき僕はだいたい一人でそれと向き合うことになる。
無論、今は便利な世の中なので、電話やLINEで遠く離れた相手に相談するという手もある。
しかし、僕の友人は多忙な方が多い。相談できるほど親しい方で自分より暇な方はいないといっても過言ではないだろう。
家族はどうかと言われるかもしれないが、僕の場合は諸事情により選択肢にない。
すると畢竟、つらくとも一人で折り合いをつけることになる。
今回は今後の自分の参考にもなるように、つらいときどうするか、そこそこ有効と思われる方法をてきとーに並べてみた。
①寝る・目を閉じる
時間があるときは寝るのが一番である。肉体的な疲労にも精神的な疲労にも効果覿面である。
時間がなければ目を閉じるだけでもいい。目を開けているだけでも雑多な情報が目に入ってきて疲れることもある。
ただ、色々と考えすぎてしまうときは眠れないこともあるので、そういうときは②以降の注意を他に逸らすことをしたほうがいい。
②深呼吸する
①と組み合わせて目を閉じて深呼吸をするのがいいだろう。ラジオ体操のように動作付きで深呼吸すれば余計なことも考えなくて済む。
③書く・写す
つらいながらも考える元気があれば自由に書く。パソコンでぽちぽち書くのもいいが、手でゆっくり丁寧に書くのも焦燥感に駆られているときは有効である。
つらくて何も思いつかないときは何でもいいので好きな文句を書き写す。歌でも小説でも定理でも何でもいい。何も思いつかないくらいつらいときはパソコンより手書きのほうが調子を取り戻しやすい。僕は描けないが絵心がある方なら模写もいいだろう。
④音読する・カラオケに行く
声を出すとストレス発散になる。しかし一人でいると声を出すことがないので、たまには音読したりカラオケに行ったり喉を使うべし。風呂場で歌うのも僕は好きだ。ただ近所迷惑には気をつけよう。
⑤料理する
僕はいつも肉野菜炒め程度の料理しかしないのだけれど、たまにカレーとかお好み焼きとか名前のついた料理をすると気が紛れる。ついでに名前のついた料理はそれなりに栄養価も高いケースが大半なので、身体にも良い。
⑥歩く
天気の良い日に外を歩くだけでも気が晴れることがある。モヤモヤしているときは走ればなお良いだろうが、僕はあいにく走れる靴を持っていない。
ただつらいときは天気にも恵まれないことが多いのが難点である。
⑦筋トレする
スロトレもどき(たんにゆっくり腕立てや腹筋をするだけ)でも意外と筋肉の動きが感じられる。歩いたり走ったりと違って家でもできるのが嬉しい。ついでに継続すれば成果が目に見える。ただやりすぎると翌日以降身体が痛かったり重かったりすることもあるので注意されたい。
ここまでは一言でまとめれば「あんまり頭を使わずに身体を使う(ただし寝られるときは寝る)」ということになる。つらいときに脳みそを働かせようと思ってもうまくいかないことが大半なので、まずは身体を動かしてみよう。
次からは心がけのようなものである。
⑧良いことを探す
つらいときは物事を悪いほうに解釈しがちである。レジの店員さんが冷たかったとかガキがうるさかったとか買った漫画がつまらなかったとか。だいたい八つ当たりである。
思っているだけなら実害もなく、脳内で相手をやりこめれば少しはすっきりするかもしれないが、それよりは良いことを探そう。夕焼けが綺麗だとか洗剤をセールで安く買えたとかお茶がうまいとかお布団でごろごろすると気持ちいいとか。数日前の繰り返しになってしまうけれど、小さな幸せは意外と転がっているものだ。
⑨自分を褒める
つらいときは自己嫌悪に苛まれがちなので、些細なことで自分を褒めちぎるのが大事である。たとえば僕がカレーを作ったなら「野菜を切るのすら面倒でキャベツを手でちぎっていた男が、人参を包丁でちゃんと切り、目から涙を流しながらも玉葱を刻み、それと牛肉を炒め、さらには煮込むなどという難事業を最後までやり遂げた。これは世紀の偉業といっても過言ではない」といったように。多少大袈裟のほうが笑える。笑えたらこちらのものである。
要するに「意識して前向きになろう」ということだ。つらいときは自分も他人も責めてしまいがちだけれど、責めても何も生まれない。反省や批判となれば生産的だろうが、つらいときは悪態をつくだけになってしまうことがしばしばである。となれば強引でもこじつけでもポジティブに行く方がまだいいでしょう。
ごちゃごちゃ書いたけれど、もし相談できる相手がいるならそれがベストだとは思う。特にこれといった原因のないつらさも話しているうちに解消されることが多いし、何かしら問題がある場合も、解決に結びつくことまではあまりないまでも、たいてい問題が整理されたり今後の方針が決まったりする。
だがそれができれば苦労しない。この記事を書いたのはつまりそういうことである。
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人生
やたらと人生について語る少女が主人公の小説を読みまして、ふと一覧にしてみようかと思いました。
人生とは、素晴らしい映画みたいなものよ
人生はプリンみたいなものってことね
人生って虫歯と一緒よ
人生とは給食みたいなものだもの
人生とは冷蔵庫の中身みたいなものだもの
人生って、かき氷みたいなものよね
人生とは和風の朝ごはんみたいなものなのよ
人生とは、ヤギさんみたいなものね
人生とは昼休みみたいなものよ
人生は、ヤギみたいと言ったけど、もしかしたら宇宙人みたいなものかもしれない
人生とは、スイカみたいなものよね
人生とは、ベッドみたいなものよね
人生とはまさにお父さんみたいなものなのです
人生とはクジャクの求愛みたいなものよ
人生とはダイエットみたいなものね
人生ってリレーの第一走者みたいなものだもの
人生とは、風邪をひいた時に熱をはかるみたいなものなのですね
人生とは、アイスクリームみたいなものだ(※)
人生とは、隣の席みたいなものでしょ?
人生とは、綺麗な色をしたお菓子と一緒です
人生とはコーヒーカップに乗った後みたいなもの
人生とは、私の味方みたいなものなのです
人生とはオセロみたいなものですね
人生とは、お弁当と一緒よね
人生って夏休みみたいなものよ
人生ってリュックみたいなものだから
他にももう少し人生について語っている箇所もありますが、上のように考えがいがないので割愛しました。
このセリフだけからどういう解釈をするのか考え、それから作品を紐解くのも面白いかもしれません(ただ中には作品を読まないと正解にはたどり着けないものもあります←)。
なお、※のついたところは『ピーナッツ』からの引用です。
ググれば英語も分かりますが、しかし解釈も提示されてしまいますので、謎解きを楽しみたい方はご注意ください。
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北川恵海『ちょっと今から仕事やめてくる』、住野よる『また、同じ夢を見ていた』
ちょこちょこ読書はしているのだけれど、ずっと記録を放置してきたので、これからは何冊かずつ紹介することを考えている。 もしかしたら重複することもあるかもしれないがご寛恕願いたい。
さて、今回のテーマは「後悔」である。人は何かしら後悔を抱えて生きている。あのときああしていれば。たらればをいくら云々しても過去は微動だにしないのだけれど、それでも考えずにはいられない。
こちらを「後悔」というテーマで取り上げると、軽いノリで仕事をやめたことを後悔する話なのかと語弊を生むかもしれないが、それは違う。あまり突っ込むとネタバレになってしまうが、つまるところ仕事で失敗して後悔するあまり「自分なんていないほうがいいのだ」と思うことほど馬鹿げたことはない。それで本当にいなくなって残された者の後悔はどれほどであろう。
pha氏の言葉を引用すれば、
死なないこと以上に大事なことなんて人生にはない。
仕事なんて命に比べたらどうでもいい。人間は仕事のために生きてるわけじゃないし、仕事なんて人生を豊かにするための一つの手段にすぎないんだから。
ということになる。何があっても死んではいけない。いのちをだいじに。
ニートの歩き方 ――お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法
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両親と喧嘩別れした南さんというキャラクターが出てくる。南さんはずっと後悔していて、手首に幾筋も傷をつけ、そんななか主人公である小学生の女の子(南さん曰く「ガキ」)と出会う。そしてガキが自分と同じような状況に置かれていることを知り、南さんはガキに仲直りしろと説得する過程で叫ぶ。
「ずっと後悔することになるんだぞ!」
(中略)
「後悔、してる。ずっと、後悔、してるんだ。あの時、なんで謝れなかったのかって。もう、喧嘩も出来なくなった。怒ってもらうことも出来なくなった。夜ご飯も一緒に、食べられなく、なった」
(中略)
「私は、もう謝ることも出来ない。だから、頼む」
私は後悔しても自分を傷つけるだけで何も生まず、そのことでまた自分を傷つけて、相変わらずまだ後悔していて、ぐるぐるぐるぐる回るだけで後悔することに何も意味なんてないと思っていたのだけれど、そうして忘れないでいれば、いつかまた自分と同じ過ちに陥りそうな者に注意できるのかもしれない。そのためにこの身に後悔を刻んでいるのかもしれない。こじつけもいいところだけれど、そういう考え方もあるということで。
そうして取り戻せない後悔について考えていたら、orangeのことも思い出した。不用意な一言でお母さんを亡くしてしまった翔の物語は、思い出すたびに私を揺らがせる。なお、Amazonプライム会員であればAmazon Videoでアニメも観られる。
のほほん
ふとこの1ヶ月ばかりを振り返ると少し憂鬱が過ぎるように思えてきましたので、緩和するべく気が抜ける話をします。
まず、ここ最近お風呂に入るようになりました。
我が家のお風呂は築年数が古いわりには面白い仕掛けがありまして、湯船にお湯を注ぎ、ある一定量に達すると音が鳴ります。特に耳に心地いい音でもなく、中途半端に長いので、「本当に鳴り止むのか」と毎回疑心暗鬼になりますが、ちょっと不安になってきたところでパタッと止まるのでその落差が面白いと言えば面白い。また、毎度ハラハラさせられながらも決して裏切られはしないので、少しずつ信頼関係が築けているような気持ちになれます。
当初は「シャワーで全身洗えるのになぜ水道料を払ってまで湯に浸かろうとするのか」などと反骨精神旺盛でしたが、近頃とみに寒くなりましてあっさりと宗旨替えしました。逆に考えれば蛇口をひねって待つだけであれほどの快楽を生み出せるのはすごい。「風呂は命の洗濯」とはよく言ったものです。
次に、家計簿をつけるのをやめました。
9月までコツコツつけていましたが、目を見張るような変化があるはずもなく、淡々と暮らすとこの程度の支出になるということが分かりましたので打ち切りました。とはいえ家計簿を見ているとその日何をしたのか思い出しやすくなりますので、備忘録としては有効だと思います。ついでに家計簿を放棄した結果衝動買いの発作がまた襲ってきつつありますので、歯止めがないと浪費してしまう方はつけるといいでしょう。私はもう諦めました。
最後に、カモミールティーを発掘しました。
引越しにあたって母がいろいろと物資を恵んでくれたのですが、棚の奥に眠っていました。私は夕方以降カフェインを摂ると眠れなくなることが多いので、カフェインフリーのカモミールティーは安心して飲めます。いつも水ばかりでは味気ないので重宝しております。母に感謝。
いま思いついた話はこれくらいですが、小さな幸せは見落とさなければそれなりにあると思いますので、拾い損ねないようにしたいものです。
自転車で転んで顎を5針縫いました
旅行記の続きを書こうと思っていましたら、タイトルのような出来事が起きてしまいました。
今後に活かすために事の顛末と感想・教訓を記しておきます。
【顛末】
事件が起きたのは水曜日です。木曜日から金曜日にかけて東京で研修があるということで、前日に帰省して実家から東京に繰り出すことになっていました。ついでに帰途で焼肉を友人・後輩と食べることにしていました。
ですので、水曜日の業務が終わって、私は一路自宅へ向かい、準備を整えてから駅に行こうとしていました。
しかし、自宅の敷地に入って、駐輪場に自転車をとめようとしたところで、私の身体は虚空に投げ出されました。
自宅の敷地から駐輪場に入る道は下り坂になっています。ただ、全てが坂というわけではなく、向かって右側は溝のようになっています。雨で滑ったこともあり、その溝に前輪を突っ込んでしまい、私の身体は愛車から離れることになりました。
残念ながら重力があるため私の身体はいつまでも宙を舞っていることはなく、ほどなく地面とランデブーすることになります。
ここで背中から落ちていれば打撲程度で済んだのでしょうが、下り坂ということは前のめりになっているということで、つまるところ顔面から接地することとなりました。
マリオではないので落ちたらリセットして再スタートというわけではなく、落ちてからも対応を迫られます。
幸か不幸か失神はしなかったので、唇から下顎にかけて激痛を覚えつつも、首から下は概ね無事であることを確認し、まずは自転車を片付けました。
周りの人に助けを求めようにも誰もおらず、連絡して助けてくれるような知り合いはこちらにはいないため、それから自宅に入りました。
救急車を呼ぶにしても怪我の状態を確認しないといけないので、鏡を見ます。
予想通り血だらけでしたが、顔面が原型を失っているというほどではありませんでした。四肢も擦り傷はあれど動かす分には問題ありませんので、救急車を呼ぶほどではないでしょう。
ただ時間が時間でしたので、通常の診察は終わっているだろうということで、夜間の紹介をしてもらわなければなりません。
そこで救急医療センターのようなところの番号を調べて電話しました。
ここまで字面だけは冷静に振舞っているようですが、内心はパニック寸前でした。
何せ大きな外傷をするのは久しぶりで、しかも現在異動先での一人暮らしです。頼れる人も病院もない。
それゆえ、電話するときは藁にもすがるような気持ちでした。
しかし、初めは県のところにかけましたところ、「市のほうの担当です」と言われ切られました。
それで市のほうにかけましたら「調べて折り返し電話します」と言われて一旦切られました。しかも「夜間なので遠くの病院を案内することになるかもしれません」と不吉なことも言われてしまいました。なお、私の交通手段は自転車か徒歩しかありません。
「かかってこなかったらどうしよう」「車でしか行けない場所だったらどうしよう」と焦りながらも、血が止まらないので絆創膏を取りにいきました。いかんせん傷が傷なので焼け石に水だと思いつつも、ガーゼや包帯の備えはありませんでしたので、他の選択肢がありません。
そんなことをしているうちに電話がきました。果たして、徒歩で行ける病院でした。
血だらけの顔で歩いてもまずかろうと余計な気を遣って絆創膏を貼ったりマスクをしたり少しもたつきましたが、なんとか病院に到着しました。
受付が分からずそのまま診察室の入り口をお訪ねして「受付を済ませてください」と言われることはあったものの、その後は指示に従ったり待ったりしているうちに治療が終わりました。ただ、夜間は緊急の方も多いので、待たされる時間は長かったです。レントゲンで骨が折れていないことが分かり自分の優先度が低いことは承知していたので、特段不服はありませんでしたが、終わった頃には電車があるのか怪しい時間となっていました。
とはいえ、迅速に帰宅し準備を済ませ駅に向かったところ、日付が変わる前には実家に帰れました。研修もどうにか受けることができ、ほっと胸をなでおろしました。今は実家で小休止して自宅に戻ってきたところです。
【感想・教訓】
こうして振り返ってまず思ったのは、何故下り坂で自転車を降りなかったのか不可解ということです。
いつもは坂の手前で自転車を降りて引いていくのに、なぜあの日に限ってそのまま行こうと思ってしまったのか。
焼肉の約束もあり気が急いていたといってしまえばそれまでです(言うまでもなく焼肉の相手には1ミリの非もなく、私が勝手に焦っただけです)が、どこか破滅願望じみたものが自分の中にあったような気がしなくもありません。最近は己の無能を感じることが多かったものですから。
とはいえ痛い目を見たので今後は大丈夫だと信じたいものです。いや焼肉の約束を反故にしたり他にも多方面に迷惑をかけてしまったり自己嫌悪は増していく一方なのですが、疑っても仕方ありませんので、信じるしかありません。強く生きねば。
益体ない話になってしまったので実際的な話をしますと、救急の連絡先は準備しておいたほうがいいということがよく分かりました。
今回は調べる余裕があったのでよかったですが、それにしても発狂する手前までいきましたので、(救急に限らず)何かあった時にどこに連絡すればいいのか把握しておくことは大変重要です。
しかし今回は歩いていける病院でしたので問題ありませんでしたが、遠かったらどうしたのでしょう。やはりタクシーでしょうか。そう考えるとタクシーの連絡先もおさえておいたほうがよさそうです。
あと、これまた当然といえば当然ですが、安全第一の運転を心がけなければなりません。行けると思っても、急いでいても、危ないところでは一旦降りて自転車を引いていきましょう。今回身体で学んだので、今後は無茶な真似はしないとは思います。が、自分ほど信用ならない人間もおりませんので、気を引き締めていきます。
ところで、今回初めて夜間救急の現場というものを拝見しました。『神様のカルテ』で予習(?)はしていたものの、やはり読むのと見るのとでは全然違います。百聞は一見にしかず。
老若男女の患者が運び込まれる中、少ない人員で必死に対応されていました。当日は何とか回っているようにお見受けしたものの、これから冬になりますので患者さんも増えることでしょう。私が心配しても仕方ありませんが、大丈夫なのでしょうか。健闘を祈るしかありません。
一方でその姿に身が引き締まる思いもしました。一人一人の患者さんをなおざりにせず、優先順位を決めて全力で対応する。きっと迷いもあるでしょう(というかお医者さんがけっこう影で「どうしよう」と言っているのが聞こえました笑)。でもその都度決断して、患者さんには心配をかけぬよう朗らかに対応されており、私は担架のようなベッドに横たわって順番を待ちながらこっそり感動していました。仕事の内容は似ても似つかないですが、もう少し自分も頑張ろうという気持ちになりました。
思いつくままに書いたらとっちらかってしまいました。明日から通常業務です。よく考えたら怪我をしてから職場の方々に会うのは初めてなので、事情を説明しなければなりません。ついでに研修で2日間不在にしていた分の仕事も溜まっていることでしょう。そう考えると気が滅入りますが、医療従事者の方々を見習ってやれるだけやろうと思います。健康を損なわない程度にがんばろー