雑記

雑な記録。略して雑記。

福本伸行『アカギ 35』、坂戸佐兵衛・旅井とり『めしばな刑事タチバナ 27』、秋川滝美・しわすだ『居酒屋ぼったくり 2』

 

アカギ 35 (近代麻雀コミックス)

アカギ 35 (近代麻雀コミックス)

 

ふらっと本屋に立ち寄った私に電流走る  ‼︎

前巻で鷲巣麻雀が終わりだと思っており肩透かしを食らったので今度こそと意気込みを改めて臨んだところ、「俺たちの本当の勝負はこれからだ」という終わり方でした。

『アカギ』そのものは終わりなのだろうかとググったところ、2018年2月で最終回のようだ。

鷲巣麻雀で約20年間盛り上がっておいて残り1年でどう着地するのか、目が離せない。

 

「大江戸すぺしゃる」と副題にあるとおり、キャラはそのままに舞台を江戸時代にしている。蘊蓄を期待する読者を裏切らず、江戸時代特有の知識も随所に見られる。ただ、こうした奇策を弄するのはあるいは手詰まりを暗示しているのではないかという不安はないでもない。 これからどう話が展開されていくのか楽しみである。

 

居酒屋ぼったくり 2 (アルファポリスCOMICS)

居酒屋ぼったくり 2 (アルファポリスCOMICS)

 

 2巻が出るまで随分と時間がかかったように思っていたが、1年しか経っていなかった。原作が7巻まで出ていることから進みが遅く感じたのだろうか(なお漫画の2巻と同じ日に小説の8巻も発売している)。

居酒屋ぼったくり 1 (アルファポリスCOMICS)

居酒屋ぼったくり 1 (アルファポリスCOMICS)

 
居酒屋ぼったくり〈8〉

居酒屋ぼったくり〈8〉

 

 『居酒屋ぼったくり』は漫画と小説を併せて読むと、漫画の細かい表現が何を意味しているのか分かったり、小説だけではイメージが具体化しなかったものが漫画で描かれていたり、といったことがあるので楽しい。

大平健『やさしさの精神病理』

 

やさしさの精神病理 (岩波新書)

やさしさの精神病理 (岩波新書)

 

席を譲らない“やさしさ”,好きでなくても結婚してあげる“やさしさ”,黙りこんで返事をしない“やさしさ”…….今,従来にない独特な意味のやさしさを自然なことと感じる若者が増えている.悩みをかかえて精神科を訪れる患者たちを通し,“やさしい関係”にひたすらこだわる現代の若者の心をよみとき,時代の側面に光をあてる

 

こちらの説明だけ読むとつい最近の書籍のように思えますが、いざ発売日に目をやるとなんと1995年9月20日とあります。それほど前に相手の気持ちに立ち入らない“やさしさ”についてこれほど分析されていたとは驚くほかありません。

 

 

しかも具体例が滅法面白い。親の面子を保つために1万円のおこづかいを受け取るにもかかわらず塾代を出してもらうのは申し訳ないという女子高生に始まり、弁護士へのレールを整備されていながら自分探しに走ってしまう青年に終わる多種多様な人々の物語は読む者を飽きさせません。精神科医という職業を存分に活かして「事実は小説より奇なり」を地でいっております(とはいえ、患者が特定されないよう細部に変更が加えられているようです)。豊富なエピソードから新しい“やさしさ”について具体的に考察しており、説得力に満ち満ちています。

 

 

ただ、新しい 気持ちに立ち入らない ウォームな“やさしさ”と旧来の 気持ちに立ち入る ホットな「やさしさ」について、終始後者に軍配を上げていたのは首を傾げます。確かにウォームな“やさしさ”は核心に踏み入らないことで自己も他者も空虚にしてしまうきらいはありますが、ホットな「やさしさ」で自他の身を焦がしてしまうこともあるのではないでしょうか。ウォームとホットを場面場面で使い分けるのが良いのではないかなあと愚考しましたが、しかしそのような穏当な主張ではあまり本として面白くないのかもしれません。

 

 

この模糊とした文章からも分かるように自分はウォームに偏るきらいがありますので、もう少しホットな「やさしさ」も身に付けたいものです。

「バチェラー・ジャパン」

 

「バチェラー(bachelor「独身男」)」と呼ばれる経歴も容姿も兼ね備えたパーフェクトと言ってもよいような男性が、25人の女性から1人を選ぶ。

そんな「バチェラー・ジャパン」という番組をさっきようやく観終わりました。

 

 

実は、アニメを観ていたときに広告に出ていたことがありましたが、そのときは一顧だにしませんでした。なぜか。久保さん自身も森田さんのお父さんとお話ししていたときに言っていたように、「(オブラートに包んでも)上品な番組ではない」から。アニメや映画ならともかく、現実で「男が一方的に女を選んでいく」という話は倫理的にどうなのか。

 

 

しかしながら、将棋のプロ棋士の広瀬さんと久保さんの対談を見て、考えが変わりました。自分が将棋を指すこともあり、プロ棋士の判断は信頼できるというのもありましたが、久保さんがみなさんを楽しませようとしている姿勢が伝わってきて、「それなら観てみようかな」と思いました。

 

 

その結果、自分が思っていた以上に引き込まれました。未だに倫理的にどうかとは思っていますが、そんなことを忘れてしまうくらいに面白い。単純に「誰が選ばれていくのだろう」という下世話な興味もさることながら、一般人ではありえないデートやら久保さんの女性あしらいのうまさやら久保さんの筋肉(笑)やら楽しめる要素がふんだんに盛り込まれている。

 

 

何より、私のような半分引きこもりになりかけている人間にとっては、それぞれの段階での久保さんの女性との付き合い方は非常に興味深い。当たり前ですが、親密さによって距離感とか言葉の選び方とかは変わっていきます。しかし、それは日常ではなかなか目には見えないものです。女性とのプライベートとなれば尚更です。実家への挨拶なんて引きこもりでなくとも各人の人生で基本は一回きりでしょう。それが克明に映されている。しかも「不器用」と言いながらも久保さんは(少なくとも私の目から見た限りでは)どの場面でもそつなく振舞っている。これは凄い。感動さえ覚えました。

 

 

以上から、人付き合いの下手な方におすすめです。実際に人付き合いがうまくなるかはさておき、ビジネスライクな付き合いから結婚を考える付き合いまでお手本のような所作を学べます。

 

 

久保さんの本も読もうか迷いますね。 

その恋はビジネス的にアウト

その恋はビジネス的にアウト

 

 

書けるとき、書けないとき

気付けばもう9月である。


前回は「SHIROBAKO」12話までについて書いた。その後24話まで観たので、そのことについて書いておけばよかったのだが、結果は見ての通りである。


13〜24話が面白くなかったかといえばそんなことは決してない。むしろ面白かった。カーアクションに始まりカーアクションに終わった24話は最高だった。12話までは武蔵野アニメーションで閉じた世界だったが、13話からは原作者が出てくることで外部とのあれこれも描かれた。変な話、折衝というやつは「そんな殺生な」と言いたくなるくらい面倒臭い。


また仲良し五人組がそれぞれ夢を現実にしていく様は感動的である。特にしずかの物語とアニメの物語がシンクロする瞬間は涙無しには観られない。


それほど良かったにもかかわらず、記憶が新鮮なうちに文章を書けなかったのは残念である。なぜ書けなかったのか。


すぐには思い当たらなかったが、よくよく考えてみると8月末の例のあの試験が原因だったのだろう。もはや記憶から抹消していたので思い出すのに時間がかかった。自己採点したところ、合計の点数は足りているのに、基準点を満たしていない科目が2つほどあったなんてことは知らない。もちろん資格を持つ以上抜けがあっては困るという理屈は分かる。しかしこれでもう1年また暗記祭りかと思うと絶望しかない。とはいえ人生の大半は絶望なので仕方ないね。また1年頑張りましょう。


話が逸れた。つまるところ余裕がなかったので書けなかったということになる。切羽詰まっているほうが火事場の馬鹿力が発揮できるということはあるものの、それはあくまで締め切りが設定されているレポートとか論文とかの話である。このダイアリーには締め切りも投稿義務も何もない。何もなければ真っ先に切り捨てられるのは必定である。なお、試験前は将棋倶楽部24や掃除がはかどるという定説もあるが、ダイアリーはどちらかというと現実側に属するものなので、逃避には向かない。


締め切りも投稿義務も何もなければそもそも書けなくてもよいのではという指摘があるかもしれないが、私は忘却力には定評があるので、何も書かなければ過去がどんどん失われる。それはもう酷い喪失感なのである。過去なんて振り返ってもロクなことはないのだけれど、さりとて何もないと寂しいのだ。


また、私は自分の昔の文章を読むのが割と好きである。「本当に自分が書いたのか」と疑う文章もあれば、その当時のことがありありと思い出せる文章もあり、自分の文章だけに好き勝手読めて楽しい。


そういうわけで、これからも気が向いたら書く。

pha『ひきこもらない』、秋川滝美・しわすだ『居酒屋ぼったくり2』、坂戸佐兵衛・旅井とり『めしばな刑事タチバナ26』

世間はお盆休みである。帰省される方がさぞかし多いことであろう。

いっぽう、私にとってはただの3連休である。もちろん帰省してもいいけれど、来週も再来週も週末に実家に泊まる予定の身としては些か味が悪い。

しかし帰省しなければしないで特にすることがない。 先週ライブやら遊園地やらで遊び倒したので、今週はきっと充電したほうがいい。

とはいっても、3日間ずっと家にいるのは気が滅入りそうだ。

ひきこもらない (幻冬舎単行本)

ひきこもらない (幻冬舎単行本)

 

そんなわけで、一昨日本屋に出かけて『ひきこもらない』を仕入れた。相変わらずゆるふわで力の抜ける文体である。今回は参考文献等がなく、引用される作品もそれほど多くない。「書を捨てよ、街に出よう」というやつだろうか。

 

居酒屋ぼったくり〈2〉

居酒屋ぼったくり〈2〉

 

友人は『居酒屋ぼったくり』を読むととある店に行きたくなるようだが、私は特にそういう店はない。それに寂寞の念を覚えなくもなかったので、本を買った足で隠れ家っぽい居酒屋に入ってみた。一人で。

店主さんが優しそうだったのは良かったが、一人だと相当胃袋に頑張ってもらわないと色々な食べ物が味わえないことが分かった。ついでにお財布にも優しくない。

でも、2〜3ヶ月に1回ならいいかもしれない。また気が向いたら行ってみよう。

 

めしばな刑事タチバナ 26 (トクマコミックス)

めしばな刑事タチバナ 26 (トクマコミックス)

 

たまたま本屋で新刊が並んでいるのを見かけたので買ったものの、どんどん話がニッチになっている。知識より発想で盛り上げようという感じ。体系だった歴史を求める人には本巻はちょっと物足りないかもしれない。

「SHIROBAKO」12話までについて

私は現在「SHIROBAKO」というアニメを観ている。「SHIROBAKO」とは、一行で説明するなら「アニメ制作を描いたアニメ」である。
標題から推察されるとおり、12話まで観た。というか先ほど12話を観終わった。
12話の感想を一言で述べれば、最高である。その勢いでこの文章を書き始めた。
しかし12話の盛り上がりから少し冷静になると、「SHIROBAKO」の巧みさに気づく。
どう巧みかというと、「労働」というものの多様な側面をよく描いているのである。



例えば高梨太郎というお調子者で実務能力が著しく低いキャラクターがいる。高梨は人と人との間に立てばいらんことを言ってこじらせ、それでいて自分は悪くないと主張する。はっきり言ってしまえば会社のお荷物である。
しかし会社という組織で働いていれば、お荷物だからといってサヨナラバイバイとはいかない。お荷物を抱えていてもうまく回していかなければならないのである。
お荷物といえばもう一人、木下誠一という監督もいる。この方はスイッチさえ入れば有能なのだが、いかんせん気分屋というか不真面目というか、コントロールが難しい。それでも上手に制御して作品を作り上げていかなければならない。



また、新人原画の絵麻や声優の卵であるしずかが口にする「食べていかなければならない」という台詞もアニメらしからぬ世知辛さを醸している。「働かざる者食うべからず」というが、実際には働かないと食っていけないのである。まず食べるために働く。自己実現だなんだは二の次である。当たり前だが、死んだら人生おしまいなのだ。それに死なないまでも生計を立てるだけで精一杯では他に目を向ける余裕がないだろう。



さらに、美沙の「先が見えるって辛いよ」と音響の方の「仕事って続けないと面白くならないから」という台詞のコントラストについて、社会人の皆さんは思うところがあるのではなかろうか。同じ仕事を続けていくことで奥の深さが分かることもあれば、広がりのなさに絶望することもある。美沙は会社を辞めてしまったが、もし続けていたら車の世界の奥深さに目覚めたとも限らない。どちらが正しいとも言えないが、それでも決断しなければいけないのが人生である。厳しい。



あと、あおいが夢とか目標とかがないことにしばしば悩むのも、働いていると身に沁みるものがある。食べていけて休日があれば御の字という考え方もあるけれど、平日の大半を仕事に持っていかれていることを考えると、ただ漠然と働くということが恐ろしくなる。周囲が夢を持っていれば尚更だ。



思いついたことを適当に書いたらとっちらかってしまったが、斯様に「SHIROBAKO」では人間関係やら理想と現実の乖離やら労働につきものの面倒臭さがうまく描かれている。
だからこそ紆余曲折ありながらも大団円を迎えた12話が泣けるのである。
働くことで悩んでいる方は是非鑑賞されたい。

御手洗直子『31歳ゲームプログラマーが婚活するとこうなる』

 

 

『草子ブックガイド』2巻の青斗さんの台詞にこんなものがあります。

「生活」という言葉の重たさの前には

どんなキレイ事も消えると知らされたよ

 

私は基本的には一人で気ままに過ごすのが好きです。

しかしこれから5年、10年、20年とずっと一人でいることを想像すると闇に呑まれるような気持ちになります。一人でいるのと一人になるのとは違うという話もありますように、気が向いても誰にも会えないというのは辛い。実際、気の置けない友人とやや距離を置いて暮らしている今は偶に(しばしば?)心にぽっかりと穴が空きます。そして空いた穴からよくないものが無遠慮に流入してきて暴れ出します。

あと1年もせずに少なくとも現在の地からは脱出できるはずですので心中の暴動を抑え込むこともできなくはありませんが、これが果たして死ぬまで続くと言われたらどうか。妻もいない、子供もいない、下手すれば友人もいない。果たしてその生に続ける価値はあるのか。

 

そう考えると急に恐ろしくなってきて、浮かんだ言葉が「婚活」です。といっても急いては事を仕損じますので、まずは情報収集から……ということで読んだのが、今回冒頭に貼り付けた『31歳ゲームプログラマーが婚活するとこうなる』です。

内容はタイトルのまんまです。31歳ゲームプログラマーのとり肉氏が弱肉強食の婚活ライフを生き抜いた末に本作の著者(御手洗直子氏)と結婚するまでが描かれています。しかし最後は婚活ライフを通して身につけたおしゃれとか無難な話題とかあんまり気にしない直子氏と結ばれるので努力の虚しさを思わずにはいられません。

それでも婚活で多くの女性と出会わなければ直子氏と結ばれることもなかったので、婚活自体は無駄ではなかったと言えます。最低限をおさえておいて、数を撃つのが大事ということか。身も蓋もない結論ですね。

私は数を撃つ間に己が負う傷の多さを思うとなかなか一歩踏み出せませんが、切り替えがうまい方なら婚活は良い手段でしょう。

始めてみればそのうち振られるのにも慣れるでしょうから、切羽詰まったら私もするかもしれません。いや、どうかな。