雑記

雑な記録。略して雑記。

『恋は光』7巻を読んで

読み終わった。しかし直後は茫然としていたため、食事とアニメ鑑賞で一旦気持ちをリセットし、今こうしてパソコンの前に座っている。


結果から申し上げると明らかに間違えようのない光の正体以外は的外れもいいところだった。特に交換日記については完全に読み違えていた。
しかしながら自らの読みが間違っていたことなどどうでもよくなるほど没頭して読んでしまった。そして終わってしまった。これで終わりなのだ。私を夢中にさせた物語はもう完結してしまった。そう思うと茫然とせずにはいられなかった。


とはいえ、終わりのない物語などない。出会いがあれば別れもある。「サヨナラダケガ人生ダ」という言葉もある。
でも、物語が終わっても消えるわけではない。別れても過去がなかったことになるわけではない。
受け止めて前に進まなければならない。宿木さんと北代のように。


『恋は光』は人間というものを本当に上手に描いていたと思う。各人各様の考え方があり、それぞれ真摯に生き、互いを尊重しながらも、出すべき結果はきちんと出していた。徒らに衝突するわけでもなく、自分を誤魔化すわけでもなく、踠き、苦しみ、納得のいく結末を導いた。その様は感動的だった。もう涙は枯れたと思っていたのに、目頭が熱くなるほどに。


全くまとまっていないけれど、これ以上とっちらかる前に筆を擱くこととしよう。
最後に感謝の言葉を述べておく。ありがとう。そしてさようなら。

『恋は光』7巻を読む前に

さて、先ほどついに『恋は光』7巻を買ってきた。



待ちに待った最終巻である。しかしここで焦ってはいけない。まずは己の過去記事を振り返るところから始めよう。


その1:『恋は光』
その2:『恋は光』続
その3:秋★枝『恋は光5』
その4:秋★枝『恋は光6』


その1を書いたのが2015年3月8日で、本日が2017年11月18日なので、読み始めてから少なくとも2年半は経過していることになる。率直に申し上げて初めて読み始めた際のことはあまり記憶にない。しかし気付けば『恋は光』は私の内で徐々に大きな存在となっていった。人間関係の機微に疎い私が途方に暮れたとき手を伸ばすのが『恋は光』だった。どこまでも真っ直ぐな東雲さん、マイペースを貫くセンセ、俗っぽさ全開の宿木さん、気配り上手な北代のそれぞれに共感しながら、ともするとモノクロになってしまう世界に対し彩りを見出そうという気持ちを湧き起こすことができた。大げさに言えば、『恋は光』は私にとっての太陽だった。『恋は光』のおかげでコートを脱ぎ、顔をあげることができたのだ。


さて、このままつらつらと万感の思いを綴ってもいいのだが、さすがに自分でもどうかと思うので、7巻を読むにあたってこれまでの自分の疑問を整理しておきたい。といっても記事を見直したところ疑義が呈されたのはその1のみで、あとは感想とも呼べない何かが雑然と散らされているだけだった。
その2の繰り返しとなってしまうが、その1で提起された疑問は以下の4点である。


・光の正体とは?

・なぜセンセは浪人したのか?

・雨の日のあの影

・センセが初めて交換日記をした相手とは?


2点目については既に5巻で答えが提示されている。「もしかしたらセンセの過去に何か関係があるのかもしれない」という記述は大当たりといえば大当たりであった。といっても過去に何もなければ浪人しないのだから、占い師の「あなたには悩み事がありますね」と大差ない。


3点目についてもセンセの過去を知った今となっては自明なので、敢えて7巻で言及する必要があるかは不明だ。「あの人はもう」という先生の脳内セリフで答えが出ているとしてスルーされるかもしれない。


1点目は6巻の終わりで東雲さんが真っ先に光の正体に感づいたことから、東雲さんのいう本能と学習から成る恋のうち、センセが見ている光は本能的な恋を視覚化したものではないかと推察できる。一方、央は学習的な恋を視覚化しているのだろう。1巻の北代による検証が当たったり外れたりだったこともこれで説明がつく。また、センセと央で何故見える光が違うのかは原因の傾向の違い(ネグレクトと過保護)から来ていると説明がつく。

しかし、女性しか光らない点は原因から説明されるとしても何故センセが中学生から光を見始めたのかが分からない。センセの過去話で中学にイベントはなかった。なお、央の光の見え始めた時期もぱらぱら読み返した限りでは分からなかった。光が見える原因は分かってもきっかけが未だ分からないのだ。これは気になるところであるが、単に小学校から中学校に移って環境が変わったからとかその程度かもしれない。


4点目はきっと面白い形で7巻で明かされるのであろう。1巻で北代に「成功したら話そう」と言っていたのに一向に明かされなかったからには期待していいはずだ。しかし東雲さんと結ばれて「成功したから」ということで明かされるという展開になったら余りにも北代が不憫でまた泣いてしまいそうなので、そうならないことを祈る。


話の展開については「特別」な北代の告白がどうなるのか、そして東雲さんの「(告白するという)この決断を大きく後悔することになったのですが」というフラグの回収がどうなるのか、結果を知るのが恐ろしい。北代に散々悶絶した身としては北代とセンセが結ばれてほしいが、東雲さんの傾向からして自分がフラれただけなら後悔しないと思うので、「性急な告白によりセンセとの恋は成就したが、北代と宿木との仲が惨憺たることになってしまった」というストーリーもありうる(が、これだけでは然程盛り上がらないので、大筋としてこうなるとしてももっと色々あるだろう)。「不思議なバランスにより保たれていたこの関係の終わりが近い」という記述とも合致する。ただ、東雲さんの後悔やガールズの関係に恋が成就することは影響を与えなさそうなので、恋が成就しなかった上に女友達も失ったという悲惨な結末を迎える可能性も0ではない。それはそれで泣いてしまいそうである。


以上、ごちゃごちゃと書いてきたが、そろそろ覚悟を決めて読むか。

松田奈緒子『重版出来!10』

 

 

毎度のことながら視界を開かされます。出版という一つの事業にどれほどの方が携わっているか。組織の一員として働いていると、ともすると目の前の仕事がすべてのように思ってしまいますが、それぞれの仕事が連携して初めて良い事業になるのだということを痛感させられます。今回もフォントという普段は意識しない(それが成功の証でもある)仕事にフォーカスが当てられていて、また一つ視野が広がりました。

 

急に寒くなってきたせいかどうにも調子が出ませんが、黒沢心を見習って元気よく働きたいものです。

『ドラゴンボール超』

 

ドラゴンボール超 コミック 1-4巻セット

ドラゴンボール超 コミック 1-4巻セット

 

友人の話から『ドラゴンボール』が新しい展開を見せているらしいとは知っていたのですが、そのまま放置していたら兄が『ドラゴンボール超』を買ってきたので早速読んできました。

 

ドラゴンボールといえば際限ないインフレというイメージがありました。本作を読んでもそのイメージは健在です。そういうと批判しているようですが、しかし青天井に戦闘力が高まっていくループが心地良いのがドラゴンボールの魅力なので、今回も単純にワクワクしながら読めました。後から振り返ると単調に思えても、読んでいる間は全くそんなことを感じさせないのが凄いです。

 

それでいて(巻末の対談にもありましたが)ゴクウブラック編は分かりやすい勧善懲悪から脱却しているので、どう着地するかも楽しみです。

福本伸行『アカギ 35』、坂戸佐兵衛・旅井とり『めしばな刑事タチバナ 27』、秋川滝美・しわすだ『居酒屋ぼったくり 2』

 

アカギ 35 (近代麻雀コミックス)

アカギ 35 (近代麻雀コミックス)

 

ふらっと本屋に立ち寄った私に電流走る  ‼︎

前巻で鷲巣麻雀が終わりだと思っており肩透かしを食らったので今度こそと意気込みを改めて臨んだところ、「俺たちの本当の勝負はこれからだ」という終わり方でした。

『アカギ』そのものは終わりなのだろうかとググったところ、2018年2月で最終回のようだ。

鷲巣麻雀で約20年間盛り上がっておいて残り1年でどう着地するのか、目が離せない。

 

「大江戸すぺしゃる」と副題にあるとおり、キャラはそのままに舞台を江戸時代にしている。蘊蓄を期待する読者を裏切らず、江戸時代特有の知識も随所に見られる。ただ、こうした奇策を弄するのはあるいは手詰まりを暗示しているのではないかという不安はないでもない。 これからどう話が展開されていくのか楽しみである。

 

居酒屋ぼったくり 2 (アルファポリスCOMICS)

居酒屋ぼったくり 2 (アルファポリスCOMICS)

 

 2巻が出るまで随分と時間がかかったように思っていたが、1年しか経っていなかった。原作が7巻まで出ていることから進みが遅く感じたのだろうか(なお漫画の2巻と同じ日に小説の8巻も発売している)。

居酒屋ぼったくり 1 (アルファポリスCOMICS)

居酒屋ぼったくり 1 (アルファポリスCOMICS)

 
居酒屋ぼったくり〈8〉

居酒屋ぼったくり〈8〉

 

 『居酒屋ぼったくり』は漫画と小説を併せて読むと、漫画の細かい表現が何を意味しているのか分かったり、小説だけではイメージが具体化しなかったものが漫画で描かれていたり、といったことがあるので楽しい。

大平健『やさしさの精神病理』

 

やさしさの精神病理 (岩波新書)

やさしさの精神病理 (岩波新書)

 

席を譲らない“やさしさ”,好きでなくても結婚してあげる“やさしさ”,黙りこんで返事をしない“やさしさ”…….今,従来にない独特な意味のやさしさを自然なことと感じる若者が増えている.悩みをかかえて精神科を訪れる患者たちを通し,“やさしい関係”にひたすらこだわる現代の若者の心をよみとき,時代の側面に光をあてる

 

こちらの説明だけ読むとつい最近の書籍のように思えますが、いざ発売日に目をやるとなんと1995年9月20日とあります。それほど前に相手の気持ちに立ち入らない“やさしさ”についてこれほど分析されていたとは驚くほかありません。

 

 

しかも具体例が滅法面白い。親の面子を保つために1万円のおこづかいを受け取るにもかかわらず塾代を出してもらうのは申し訳ないという女子高生に始まり、弁護士へのレールを整備されていながら自分探しに走ってしまう青年に終わる多種多様な人々の物語は読む者を飽きさせません。精神科医という職業を存分に活かして「事実は小説より奇なり」を地でいっております(とはいえ、患者が特定されないよう細部に変更が加えられているようです)。豊富なエピソードから新しい“やさしさ”について具体的に考察しており、説得力に満ち満ちています。

 

 

ただ、新しい 気持ちに立ち入らない ウォームな“やさしさ”と旧来の 気持ちに立ち入る ホットな「やさしさ」について、終始後者に軍配を上げていたのは首を傾げます。確かにウォームな“やさしさ”は核心に踏み入らないことで自己も他者も空虚にしてしまうきらいはありますが、ホットな「やさしさ」で自他の身を焦がしてしまうこともあるのではないでしょうか。ウォームとホットを場面場面で使い分けるのが良いのではないかなあと愚考しましたが、しかしそのような穏当な主張ではあまり本として面白くないのかもしれません。

 

 

この模糊とした文章からも分かるように自分はウォームに偏るきらいがありますので、もう少しホットな「やさしさ」も身に付けたいものです。

「バチェラー・ジャパン」

 

「バチェラー(bachelor「独身男」)」と呼ばれる経歴も容姿も兼ね備えたパーフェクトと言ってもよいような男性が、25人の女性から1人を選ぶ。

そんな「バチェラー・ジャパン」という番組をさっきようやく観終わりました。

 

 

実は、アニメを観ていたときに広告に出ていたことがありましたが、そのときは一顧だにしませんでした。なぜか。久保さん自身も森田さんのお父さんとお話ししていたときに言っていたように、「(オブラートに包んでも)上品な番組ではない」から。アニメや映画ならともかく、現実で「男が一方的に女を選んでいく」という話は倫理的にどうなのか。

 

 

しかしながら、将棋のプロ棋士の広瀬さんと久保さんの対談を見て、考えが変わりました。自分が将棋を指すこともあり、プロ棋士の判断は信頼できるというのもありましたが、久保さんがみなさんを楽しませようとしている姿勢が伝わってきて、「それなら観てみようかな」と思いました。

 

 

その結果、自分が思っていた以上に引き込まれました。未だに倫理的にどうかとは思っていますが、そんなことを忘れてしまうくらいに面白い。単純に「誰が選ばれていくのだろう」という下世話な興味もさることながら、一般人ではありえないデートやら久保さんの女性あしらいのうまさやら久保さんの筋肉(笑)やら楽しめる要素がふんだんに盛り込まれている。

 

 

何より、私のような半分引きこもりになりかけている人間にとっては、それぞれの段階での久保さんの女性との付き合い方は非常に興味深い。当たり前ですが、親密さによって距離感とか言葉の選び方とかは変わっていきます。しかし、それは日常ではなかなか目には見えないものです。女性とのプライベートとなれば尚更です。実家への挨拶なんて引きこもりでなくとも各人の人生で基本は一回きりでしょう。それが克明に映されている。しかも「不器用」と言いながらも久保さんは(少なくとも私の目から見た限りでは)どの場面でもそつなく振舞っている。これは凄い。感動さえ覚えました。

 

 

以上から、人付き合いの下手な方におすすめです。実際に人付き合いがうまくなるかはさておき、ビジネスライクな付き合いから結婚を考える付き合いまでお手本のような所作を学べます。

 

 

久保さんの本も読もうか迷いますね。 

その恋はビジネス的にアウト

その恋はビジネス的にアウト