雑記

雑な記録。略して雑記。

屋久杉君の話

昨日『神様のカルテ』を話題に出したところ、思い出したシーンがあったので、備忘がてら記しておく。

屋久杉君(以下、屋)「俺って何にもない奴なんすよ。二浪もしてせっかく大学入ったのに、やる気も夢も何にもなくって、ただ毎日が酔っ払って過ぎて行くだけなんす」
屋「ほかの連中は、なんか色々やりたいこととか話しあって楽しそうなんすけど、俺全然ダメっす。別に夢とか何にもなくて、ただあんま人に迷惑かけずに生きられればそれでいいんすよ」
男爵(以下、男)「結構ではないか」
男「貴君の年齢で夢なんぞ見つからなくて当たり前だ。『やりたいことを見つけてそこに打ち込んでいくのが人生だ』などということ自体が、ただの幻想なのだから。世の中はそんなに都合よくできてはいない」
男「だいたい、そんなに目の前に夢やら希望やらが転がっていては、人生の風通しが悪くてかなわん」
屋「そんなこと言ったって男爵先生は絵描きやってるじゃないっすか。絵、好きじゃないんすか?」
男「今は好きだ。だがもともとはこれほど嫌いなものはなかった」
男「目の前にあることを続けていれば、いずれそれが夢へと転ずる。まあ、人生というのはそういうものだ」
屋「それって俺のこと励ましているんすか、それとも諦めているんすか?」
男「それは貴君の受け取り方しだいだな」
男「しかし」
男「やりたいことが見つからないから、何もしないというのでは、ただの猿問答だ。我々は人間である以上、猿をやっているわけにはいかん」
屋「じゃあ、どうすればいいんすか?」
男「いい質問だ」
男「俺も今、それを考えているところなんだ」

なお、地の文を全て省略したり、適宜飛ばしたりしている。その代わり誰の台詞か分かるようにしておいた。屋久杉君は台詞の全てで「〜す」という語尾なのでいらなかったかもしれないけれど、とはいえ「しかし」だけのところがあるから、その台詞の主体を明確にするためにつけたのだということにしたい。

最後は男爵一流のはぐらかしで終わっているが、「目の前にあることを続けていれば、いずれそれが夢へと転ずる」とは男爵らしからぬ青臭い台詞である。
この後、屋久杉君がどうなったのか気になる方は是非『神様のカルテ』を読まれたい。

神様のカルテ2 (小学館文庫)

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夜と霧 新版

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