教養
今日の教養
天邪鬼なので流行っていると読みたくなくなりますが、たまには世間の濁流に呑まれることもあります。
感想を一言で申し上げれば、「まあ、面白い」です。友情・努力・勝利というジャンプの王道を行っており、技もシンプルながら格好良く、展開も早くて飽きさせません。あまりにもキャラがバタバタと死んでいくので共感しにくいという感想も聞きますが、その分想像を膨らませられるという見方もできます。作品内でそれぞれのキャラをしっかり描いてほしい向きには不評でしょうが、メインストーリーに関係ない部分をばっさり切ることで読みやすさが生まれているとも言えます。こう持って回った言い回しになってしまうのが、「面白い」の前に「まあ」がついてしまう要因でしょう。いや、まあ、面白いですよ。こういうことを言ってしまうのが天邪鬼たる所以とも言えます。
教養の強要
曲がりなりにも高等教育を受けた身なので教養なるものを身につけたほうがよいのかと魔が差すときもあります。教養関係の本は教養というだけあって幅広い分野の話が読みやすく書かれていることが多いので、読んでいるときは楽しいのですが、しかし、読み終わった後はどうにも気分が良くありません。たぶん、この水準の知識をいったいどれだけの分野にわたって身につけなければいけないのかという焦燥感と、教養の底に流れる選民思想が私をげんなりさせるのでしょう。
勉強というのはすればするほど分からないことが増える上に、ある分野についてそれなりに勉強したとしても、ほかの分野はいくらでもあるのです。どこまで行っても五里霧中です。そのプロセスを楽しめないなら適性がないと言われてしまえばそれまでですが、だいぶ前から息切れするようになってしまいました。
ことほどさように、教養は誰でも身につけられるものではありません。選ばれしエリートの文化とも言えるでしょう。その中では優劣が生じ、競争が生まれ、よく言えば切磋琢磨していきます。教養のある者が尊ばれ、教養のない者は蔑まれる。弱肉強食とも言えます。そういうのが好きな方もいるでしょうが、私はいささか疲れました。もう少しヌルい世界で生きたい。
そんなことを以前から考えていたのに、気付いたら『教養の書』を読んでいました。未練たらたらです。何ならこの後冒頭で推薦されていた山形浩生の本も読みました。
どちらの本も何とも威勢がよく、読んでいて痛快です。そうだ、私もそんな風になりたかった。万巻の書に通じ、下世話な話から高尚な話まで縦横無尽に語れる。そんな人間に、私もなりたかった時代がありました。
教養の許容
些かセンチメンタルになってしまいました。考えてみれば今の仕事に教養なんてまるで関係ないのですから、ただ淡々と仕事をこなし、与えられた賃金の範囲内で慎ましく暮らしていればいいのです。決して高給取りとは言えませんが、幸い、のらりくらりと生きていく分には不自由はありません。それで満足すればいいじゃありませんか。
そう考える自分もいますが、まあ、なんというか人間は一枚岩ではありませんね。面倒くさい。しかし面倒くさいからといって放り出すわけにもいきません。どうしたものでしょう。
そうして途方に暮れながら、また次の一冊に手を出すわけです。答えなどないと知ってはいても。