雑記

雑な記録。略して雑記。

レイ・ブラッドベリ(著)宇野利泰(訳)『華氏451度』

 

華氏451度 (ハヤカワ文庫SF)

華氏451度 (ハヤカワ文庫SF)

 

数ヶ月前、たまたま弊社の説明会に来られたお若い方が本書を読んでいると仰っていたので、遅ればせながら私も読んでみました。

 

率直に申し上げますと、イメージの奔流についていけないところも多々ありました。私にはどうも言葉から情景を想像する力が乏しいらしく、ふわふわした描写を続けられると頭に靄が立ち込めることとなります。言葉遊びなら楽しめるのですが。

 

しかしながら、話の筋はとても面白かったです。どことなく『1984年』を思わせるディストピア的世界観ながらも、主人公は最後まで刹那の享楽が支配した世界に立ち向かっていきます。娯楽が氾濫している現代を思うと思考を巡らせずにはいられません。

 

また、本筋には関係ありませんが、『バーナード嬢曰く。』1巻冒頭の【名言】の元ネタと思しき箇所があって笑いました。

力だ、とおれがいうと、きみはジョンソン博士を引用して、〈知識は力と同等以上だ!〉とさけぶ。そこで、おれはこういった。なるほど、ジョンソン博士の引用か。だが、あの男は、また、こうもいってるぜ。〈不確実なことのために、確実なことを捨てるものは、賢明とはいえない〉とな。(216頁)

 

 立ち止まって考えることを忘れてしまいそうな時にまた読みたいです。

「サクラクエスト」、ウェルズ(著)池央耿(訳)『タイムマシン』

 

良い感じの商品がパッと見つからなかったので第一話を貼り付けました。

今更ですがトーマス・マンの『魔の山』が何か関係あるのでしょうか。ドイツ語の授業で冒頭の冒頭だけ読んだ記憶がありますが、読んだ記憶があるだけで内容の記憶はないので何とも言えません。

 

 

「よそ者を受け入れ、絶えず変化し生き残っていく」

そんなことを最後に会長が言っていましたが、これは地方都市だけでなく、都会にも、あるいは人間にも当てはまることかもしれません。

理解できるものに囲まれている環境は心地よいですが、いつしか硬直し、衰退してしまいます。由乃が訪れる前の間野山のように。

 

 

たまたま読んでいたウェルズの『タイムマシン』にも重なるものがありました。

万能の知性というのは、変化、危険、困難の代償で、つまりは自然の法則なのだが、とかく人はこのことを見落としがちだ。環境に文句なく適応している生き物は完璧な機械装置だよ。習性や本能が働いているうちは、自然は知性を喚起しない。変化、もしくは変化の要求がないところに知性は育たない。種々さまざまな必要と危険に否応もなく向き合う生き物だけが知性に覚醒する。

タイムマシン (光文社古典新訳文庫)

タイムマシン (光文社古典新訳文庫)

 

 

 

 

さらに連想を膨らませれば、『もやしもん』の金城さんが言っていた守礼の国沖縄のモットーが浮かびます。

怒っていいのは先祖からのこの地に不幸をもたらす者が居座った時だけ

でも争うのでなく時をじっくりかけてでもその者にいつか必ずやお帰りを願え

とがっていては折れてしまう

訪れる者のすべてをまず受け入れなさい

 

 

異質なものを受け入れる柔軟さとか余裕とかを忘れずにいたいものです。

葉月抹茶『一週間フレンズ』

 

 帰省して久しぶりに読み直しました。

感想を一言で申しますと、

尊い

これに尽きます。

出てくる登場人物が皆さん「純粋」を体現したような方々ばかりで、読んでいるこちらとしては「尊い」と言うほかありません。一人一人が真っ直ぐで愛おしいです。

素朴な気持ちを忘れてしまいそうな時にまた読み直したいですね。

原論『労基署は見ている。』

 

本屋でたまたま見かけて気になってはいたものの、「買うほどではないか」と思っていたら図書館で発見したので借りて読んでみました。

 

著者の方が元労働基準監督官でバリバリ現場で活躍されていたようで、体験談がふんだんに盛り込まれていて読みやすいです。「臨検監督対策のために」とか「労働法について勉強したい」とか真面目な動機で体系的な記述を期待すると裏切られるかもしれませんが、いま巷を賑わせている労働基準行政の雰囲気を知りたいという方にはおすすめです。監督官の仕事から内部事情まで縦横無尽に語っています。

 

印象に残ったのは「労働基準監督署は労使関係においてあくまで第三者である」と何度も強調しているところです。主役は労働者と使用者であり、監督署は2者が円滑な関係を築くお手伝いをするだけなのです。「お上が言うから」ではなく労使ともども自分が主役だという自覚を持って快適な職場環境を形成していかなければなりません。

監督官の指摘というのは、ある意味で、これまで会社が見つけることがなかった「リスク」を洗い出してもらうことである。だから、 法違反を是正するという方法で、このリスクを削減すれば、今後の事故は避けられる可能性が高くなる。事故が起きなかったり、トラブルが発生しなかったりと、本来会社が見つけなければ遭遇してしまったであろう問題を、無料で診断し、アドバイスしてもらったと思うなら、これほど有益なことはないはずだ。

監督官から数多くの指摘を受けた場合、交付した監督官を嫌な奴だと思うのか、リスクを見つけてくれてありがとうと思うのか、その思考方法を変えるだけでも今後の会社が変わってくることだろう。会社にとって、臨検監督でやってきた監督官の「当たり」「外れ」はいったいどちらなのだろうと考えた場合、長い目で見たら違う答えが出るのかもしれない。

 

 あと、当たり前と言えば当たり前なのですが、病気と同じく予防が重視されてきているのだなと感じました。事が起きてから対処するのではなく、そもそも事が起きないようにすること。言うは易く行うは難しですが、本来そうあるべきということを忘れずにいきたいものです。

坂戸佐兵衛(原作)旅井とり(作画)『めしばな刑事タチバナ』28、柏木ハルコ『健康で文化的な最低限度の生活』6、島本和彦『アオイホノオ』1

ぶらぶら歩き回っていたら疲れたので一先ず記録だけ残しておきます。

(さすがにこのまま放置は寂しいので追記)

 『めしばな刑事タチバナ』を読んでいると長期連載と如何に付き合うべきか考えさせられます。手を変え品を変え身近な食について蘊蓄を披露してくれるものの、「世界を支配している魔王を倒す」とか「隠された秘宝を手に入れる」とか分かりやすい大目標がないので時折「何をしているのだろう」という気持ちになります。しかしよく考えたら人生も同じような毎日の繰り返しです。自分が何もしなければ手を変え品を変えてくれることもありません。となると、『めしばな刑事タチバナ』という長期連載を楽しめないということは人生という長期連載を楽しめないということになるのではないか。いずれにしても材料は用意されているのだから自分で料理する姿勢を示さなければならないのではないか。そんなことを考えてしまうくらいには集中できていません。

 

失踪日記』や『アル中病棟』をたまに読み返してしまう身としては染みるものがあります。迷惑をかけているという自覚があるだけに他人に頼れず、自暴自棄になった末に更に他人に迷惑をかけてしまうという悪循環は身に覚えがありすぎてつらいです。

アルコール依存症は否認の病」というフレーズが出てきますが、アルコールに限らず何かに依存している人には当てはまるのではないかと思わずにはいられません。

「自分は何かに依存しているわけではなく、仮に依存しているとしても、そのこと以外に何ら問題はない」

こう言語化すると「んなわけねーべ」と思ってしまいますが、言葉で分かっていても行動がついてこないことが多々あります。なかなか自覚するのは難しいものです。だから他人の目が必要なのでしょう。友達が欲しいですね(遠い目)

 

アオイホノオ 1 (ヤングサンデーコミックス)

アオイホノオ 1 (ヤングサンデーコミックス)

 

この漫画を読んで笑い飛ばせるか笑いながらもどこか自分に通ずるものを感じてしまうかでその方の調子が分かるような気がします。私は当然後者です。

そうはいっても焔燃は腹筋をつけただけ立派です。以上です。

武者小路実篤『友情』

 

友情 (新潮文庫)

友情 (新潮文庫)

 

読み終わった直後は失恋した野島に涙を禁じえませんでした。

ただ失恋しただけでなく、唯一無二の友に見初めた女性の心を掴まれてしまったのです。

しかも友にも女性にも責められるところがありません。友は充分に野島のことを慮っていました。女性も自らの思いに正直であっただけです。

さらに友と女性の熱情は野島の理想の恋なのです。(些かアナクロニズムの感はありますが)女が男を支え、男は仕事で応える。己が夢見ていた恋を友が実現しているのを眼前に叩きつけられたのです。

しかし友にも女性にも当たることはできません。野島には何も残っていません。ただ孤独なだけです。なんと悲惨な話でしょう。

「自分は淋しさをやっとたえて来た。今後なお耐えなければならないのか、全く一人で。神よ助け給え」

 

 

しかし、改めて冒頭に戻ると次のような言葉が綴られていました。

人間にとって結婚は大事なことにはちがいない。しかし唯一のことではない。する方がいい、しない方がいい、どっちもいい。同時にどっちもわるいとも云えるかも知れない。しかし自分は結婚に就ては楽観しているものだ。そして本当に恋しあうものは結婚すべきであると思う。しかし恋にもいろいろある。一概には云えない。この小説の主人公は杉子と結婚しなかった為に他の女と結婚したろう。そして子が生れたろう。その子が男で、大宮と杉子の間に出来た女の子を恋して結婚するということも考えられないことではない。そして両方がお互に生れたことを感謝しあうと云うこともあり得ないことではない。

夫婦のことは何処か他の処で書こう。

自分はここではホイットマンの真似して、失恋するものも万歳、結婚する者も万歳と云っておこう。

少なくとも作者は悲惨とは捉えていないようです。 最初の段落は「どっちもいい」とか「一概には云えない」とか言っていて何も主張していないようですが、つまるところ人間どう転ぶか分からないということのように読めます。そしてどう転ぶか分からないなら真っ直ぐに生きたほうがいいのだということで、最後の段落の「失恋するものも万歳、結婚する者も万歳」に繋がるのかなと。失恋した野島も結婚するであろう大宮と杉子も、結果はともかく、それぞれが自分の想いに真っ直ぐでした。それは素晴らしいことです。

 

野島は恋に敗れました。しかし戦って敗れたのです。諦めて敗れたわけではありません。さっさと諦めれば傷は浅いでしょうが何も残りません。がっぷり四つに組み合い敗れたならその経験は己に刻まれます。そう考えると、何も残らずただ孤独になっただけではないのでしょう。

君よ、僕のことは心配しないでくれ、傷ついても僕は僕だ。いつかは更に力強く起き上るだろう。これが神から与えられた杯ならばともかく自分はそれをのみほさなければならない 

吉本ばなな『キッチン』

 ふと大昔に途中まで読んで放り出していた小説を読んだ。

キッチン (新潮文庫)

キッチン (新潮文庫)

 

目次に並んでいるのは以下の4つ。

  • キッチン
  • 満月—キッチン2
  • ムーンライト・シャドウ
  • そののちのこと(文庫版あとがき)

このうち私の心を最も引いたのは「そののちのこと(文庫版あとがき)」であった。

「キッチン」を読んでいても「満月—キッチン2」を読んでいても「ムーンライト・シャドウ」を読んでいても何処か腑に落ちなかったが、「そののちのこと(文庫版あとがき)」で少しスッキリしたからだ。

 

感受性の強さからくる苦悩と孤独にはほとんど耐えがたいくらいにきつい側面がある。それでも生きてさえいれば人生はよどみなくすすんでいき、きっとそれはさほど悪いことではないに違いない。もしも感じやすくても、それをうまく生かしておもしろおかしく生きていくのは不可能ではない。そのためには甘えをなくし、傲慢さを自覚して、冷静さを身につけた方がいい。多少の工夫で人は自分の思うように生きることができるに違いない

 

ほんの少しずつではあるが「そうかもしれないなあ」と思っていたことを上手に言葉にしてもらった気がし、

 

愛する人たちといつまでもいっしょにいられるわけではないし、どんなすばらしいことも過ぎ去ってしまう。どんな深い悲しみも、時間がたつと同じようには悲しくない。そういうことの美しさをぐっと字に焼きつけたい

 

そうか、それを「美しい」と捉えるのか、と感心した。 

 

どうにもやりきれなくなった時にまた読みたい。