雑記

雑な記録。略して雑記。

生きやすく、生きにくい

前回の引きこもりライフの後に、何と時流とは関係なく肺炎になってしまいました。おかげさまでまたも引きこもりライフになるかと思いきや、「肺炎でも働ける」と医者に宣言されてしまい、騙し騙し今日まで過ごしてきています。いや流石に9月に肺炎になって2ヶ月も経つのでだいぶ良くなってきましたが、しかしそれでもまだ薬は服用し続けているので相当ダメージは大きかったんでしょうね。

 

 

おかげさまで非生産的な生活が続いていますが、ここまで体調不良を連続で経験すると「生きているだけで儲けもの」という気持ちになってきます。ふとした拍子に「俺はこんなもんじゃない」とか「どうしてこうなった」とか拗らせたプライドの残滓が顔を覗かせることはありますが、だいたい「まあいいか」で済ませられるようになりました。社会人になって10年目を迎えようとしているので、漸く自分の凡庸さを受け入れられるようになったというのもあるかもしれません。

 

 

とはいえ、凡人であることに安住すると楽は楽ですが、やはり「これでいいのか」という気持ちがないと言えば嘘になります。周囲は結婚したり仕事で趣味で結果を出したりしている中、ただ淡々と生き続けていていいのでしょうか。まあ、他人にそこまで迷惑をかけているわけではありません(と信じております)ので、いいのでしょうけれども。生きているだけで税金を払ったり消費活動をしたりと経済を回しているわけですから、社会にとって全く無益な存在というわけでもありません。

 

まあ、本当は他人だ社会だではなく自分の問題なんですけどね。『喜嶋先生の静かな世界』の中村さんのセリフを思い出します。

「自己満足できたら、それはもの凄く良い状態だね。自分が満足できるなんて、そんな素敵なことはない。それは価値が大ありだ」

こちらは研究の価値の話ではありますが、人生にも適用できそうです。さて、どうすれば人生に自己満足できるのでしょうか。「それを探求するのが人生」なんて誤魔化しが効くのは他人に対してだけですからね。はて、どうしたものか。