雑記

雑な記録。略して雑記。

頭を動かす

たまに「頭が悪くなったなあ」と思うのですが、それはいったいどういう意味なのでしょう。


ぱっと思い浮かぶのは記憶です。
しかしながら短期記憶はそれほど衰えていないように感じますので、長期記憶が劣化したということで「頭が悪くなった」と思っているのでしょう(他人事のように)。
ところが、確かに以前は長期記憶に蓄えられていた−主に受験で詰め込んだ−知識は使わないうちに段々と薄れているものの、長期記憶する能力が衰えているかは定かではありません。悲しいことに目の前の業務を片付けることに没頭するばかりで使っていませんから。
一説によると長期記憶は加齢によってそれほど衰えない(むしろ短期記憶が衰える)らしいので、そうだとすると、それほど悲観する必要はないでしょう。知らぬ間に短期記憶がお粗末になっていることを恐れるべきかもしれません。


次に考えられるのは計算の速さです。
しかし、「計算の速さってなんぞ」と考えると、記憶の出し入れや組み合わせの速さに帰着するように思います。
そして記憶の出し入れや組み合わせの速さは訓練次第でどうとでもなることが大半です。


そう考えていくと「頭が悪くなった」はただの何もしていないことに対する言い訳ということになります。
言い訳も時には大事ですので、一概に否定されるものではありませんが、どういう時に「頭が悪くなった」と思うのか自覚し、どういう意味か分析して、手を打つのであれば手を打たないと、ただの愚痴でしかありません。
私の場合、以前に比べて地道にコツコツと積み立てる努力を怠っていることに対する嘆きであることが多いように感じますので、大きな目標を立てて少しずつそれに近付くよう努力すれば「頭が悪くなった」という思いを払拭できそうです。
ま、それが簡単ではないのですが、言い訳はほどほどにしておかないと底なし沼にはまってしまいますから。

手を動かす

私の場合、手を動かすことを厭い始めたら相当に精神的に参っている可能性が高いです。
いや、本当にその作業が無駄でしかないこともあるのですが、何かと理屈をこねても突き詰めれば「面倒だ」という理由で億劫がっているのであれば、99%メンタルがキテます。
おまけに、動かないと、気分というのはどんどん沈んでいきます。


というわけで、多少だるいと思っても自炊をすることにしました。
手を動かせる上に食も多少は充実するので一石二鳥です。半分置物と化していた冷蔵庫も活かせるので一石三鳥か。
惜しむらくは以前に紹介したとおりホットプレートしか調理器具がないことですが、それもホットプレートの限界に挑戦できると前向きに捉えられなくもありません。というかフライパンと鍋の機能は果たせるので一口コンロと大してできることは変わらな(ry



あんまり意気込むとそれはそれで疲れるので、ぼちぼちやっていきます。

ゆるふわ祭り

私はあまり祭りが好きではありません。
なぜか。


一つ挙げるとすれば、これまで参加してきた祭りに良い思い出がないからでしょう。
学生の時の体育祭や文化祭は祭りの実行委員と一部の熱心な方々が勝手に盛り上がっているという印象でした。
ボイコットするほどではありませんでしたが、不祥事も多く、他人に熱意を強制する雰囲気はどうにも理解しがたかったです。


しかしながら、今回GWに便乗して見物してきた祭りは非常に楽しめました。
恐らく距離感が良かったのでしょう。基本は部外者ですが、友人が祭りの主催者側と少し関わりがあり、酒盛りに混ぜてもらったり凧揚げを間近で見たりできました。聞くと主催者側は3日間フルスロットルで動くようなので、そうなると辛いところですが、ちょっとつまみ食いできるなら祭りとはいいものです。今回は与えられるばかりで某参加企業にお金を落とすくらいしか恩返しできませんでしたが、まあそれくらいのゆるふわ感がいいですね。


完全に祭りへの苦手感を克服できたわけではありませんが、私が楽しめる祭りもあると知ることができたということでGWの一つの成果ではありました。友人に感謝。

思考停止

予想通り、今日は塞ぎこんでいました。
しかしながらAmazonで大セールを展開していた『インベスターZ』を読んでいたらゴチャゴチャ悩んでいるのも馬鹿らしくなってきたので、いくつか目標を設定してそちらに至る道筋を考えた方がまだ生産的だという結論に至りました。
といいつつ、結論に至ったところで満足してしまったのですが。
少しずつでも錆びついた脳みそを回転させるようにしないと、そろそろ心臓と一緒に停止してしまいそうなので、あらゆる手練手管を駆使してボケ防止に励むことにします。

インベスターZ(1)

インベスターZ(1)

秋★枝『恋は光6』

 

恋は光 6 (ヤングジャンプコミックス)

恋は光 6 (ヤングジャンプコミックス)

 

文字通り悶絶しました。

それぞれが関係を保とうとしながらも、己に正直になればその関係を危険に晒さざるを得ない、そのことに対する葛藤。そして唐突に放り込まれた爆弾によって動き出す物語。読んでいる側としては悶絶するほかありません。

しかも次巻で最終巻だという。こちらからどう着地させていくのか。楽しみでもあり怖くもあり。

5巻のときに「感想を整理する」などと嘯いておりましたが、この分ですと最終巻が終わって暫くしないと纏まりそうにありません。ちょうど今年度が終わりますと自分にとって一つまた転換点が訪れますので、その際に諸々何かしらの区切りをつけたいものです。

散々ゴチャゴチャ転げ回っていたのに突然ピタッと止まるのは無理でしょうが、せめて止まったフリだけでもできますように。

世の中に寝るより楽はなかりけり

世間はそろそろ黄金週間ということで浮き足立っているそうですが、こちらは一足先に長期休暇に入っておりました。
その名もインフル長期休暇。


いやはや、まさかこのようなタイミングでインフルエンザにかかるとは驚きでした。
このようなタイミングとはどのようなタイミングかと申しますと、年度初めという繁忙期の月末、すなわち追い込みの時期ということであります。
当然私のような下っ端の下っ端も物思いに耽る時間も惜しんで仕事に邁進しておりました。
その結果がこのザマです。やはり仕事は身体に悪い。起きて働くのは浮世の馬鹿がすることです。賢人たる私は寝て過ごしたい。


しかし悲しい哉、私は同時に真面目でもありましたので、「熱が下がったら出勤してよし」という医師の指示(※)を愚直に守っておりました。
ところがどっこい、ドクターはストップせずとも世間の目は許してくれません。普段は殆ど話さないような上司の方から出勤停止を申し渡されました。
こうして私は早くもn連休へと突入したわけであります。

(※)初めに聞いたとき耳を疑い、思わず「本当に熱が下がったら出勤してもよろしいのでしょうか」と聞き返してしまったのですが、御年配の医師は「熱が下がったら出勤してよし」と断じたのでした。その後ネットで調べたところ厚生労働省のQ&A(Q17)によれば「一般的に、インフルエンザ発症前日から発症後3〜7日間は鼻やのどからウイルスを排出するといわれています。そのためにウイルスを排出している間は、外出を控える必要があります」とのことでした。3日と考えれば間違いとまでは言い切れませんが、その後の「参考までに、現在、学校保健安全法(昭和33年法律第56号)では『発症した後5日を経過し、かつ、解熱した後2日(幼児にあっては、3日)を経過するまで』をインフルエンザによる出席停止期間としています」のくだりを見ると、やはり1週間程度休むのが普通のように思われます。インフルエンザのA型なのかB型なのかも看護師さんと意見が分かれていましたし、ひょっとしてヤb(ry


さて、休み始めてみますと、当然外出もできないわけですから睡眠時間の増加がとどまることを知らないわけですが、すると精神的に非常に安定してきました。
引きこもっているからふさぎ込むのだろうかと思いきや、心配してくださった友人が電話してくださったこともあり、むしろ普段より良い気分で過ごせました。
眠い時に眠れるし、ネットスーパー様のおかげで食料には不自由しないし、本は紙も電子も積みまくっているから全く不足しないし、あれ、もしかしてこれって考えうる限り最高の生活では。


そんなイケナイ気付きを得た一方で、月曜からはデスマーチが待っているという不都合な真実があります。
どちらからも目を逸らしたい。
果たして私は明日を耐えうるのでしょうか。穏やかに眠れる気がしません。

失踪日記

失踪日記

北方謙三『水滸伝』

貴君、終わったよ、終わった 

 先日まで「四畳半神話大系」のアニメを観ていた身としては、そんな台詞を吐きたくなります。

 

 

水滸伝 文庫版 全19巻+読本 完結BOXセット (集英社文庫)

水滸伝 文庫版 全19巻+読本 完結BOXセット (集英社文庫)

 

ついに、ついに読み終わりました。全19巻。長かった、あまりにも長かった。1巻350頁として実に6650頁です。厚くて熱い物語でした。

 

 

最初は北方水滸伝のエネルギーを求めて読み始めたつもりだったのですが、読み進めるうちに勝敗とか強さ・弱さとかいったものについて考えるために再読し出したのではないかと思えてきました。

というのは、北方水滸伝は戦に次ぐ戦の物語ですから、戦の都度勝敗が決まります。しかしながら戦における勝敗は将棋のように一方が完全勝利で一方が完全敗北ということはありません。

双方が犠牲を出します。じゃあ犠牲の多寡で決まるかと言ったらそうでもなく、彼我の軍の規模が違えば同数の犠牲でもどちらかに軍配が上がることはあるでしょう。

その戦を評価する主体によっても勝ち負けが変わることもあります。民から見たら梁山泊の勝利でも実際は負ける寸前だったなんてシーンもありました。

また、梁山泊の豪傑は皆強すぎるほどに強い一方で、それぞれが弱さを抱えています。そしてその弱さについて、各々の仕方で克服したり折り合いをつけたりする。

雑に纏めれば、そうした物事や人の多様性を存分に味わいたかったということになります。

 

 

それから読了して思ったのは、料理とか傷の治療とかの細部から経済やら政事やらの大局まで実にリアリティ溢れる一方で、青臭い理想を漢たちが追求していく、その現実とロマンの両立が素晴らしいということです。

ただ現実の汚い部分を克明に描写してドロドロしているだけでもなく、ただ美しいお花畑を展開しているだけでもなく、如何ともしがたい現実の中でそれでもなお理想を具現せんと尽力する。その様は読む私に生きる勇気を齎してくれます。

 

 

ざっくりと感想を述べれば以上のようになりますが、勢いで読んできたところもありますので、これから読本(『替天行道』)を読みつつのんびりと振り返ります。

ところで、北方水滸伝の続編である『楊令伝』を見たらこちらも15巻もあるんですね。いやはや、どうしたものか。