雑記

雑な記録。略して雑記。

キャベツ

何の因果か、記事を書こうとする度に遥か前にバックアップされた内容である「キャベツ」のタイトルが表示されるので、そろそろ成仏させたい。


振り返るに、私はキャベツとどうも馬が合わないので、親睦を深めるべくこのようなタイトルの記事を書こうとした覚えがある。
「馬が合わない」といっても味が嫌いなわけではない。むしろ、とんかつと共に提供されるキャベツの千切りは毎度おかわりしたくなるくらいである。ソースをかけてもドレッシングをかけてもおいしい。


ではどう馬が合わないのかというと、単に自分でキャベツを調理した際にうまくいった試しがないだけである。
ただ、キャベツを使った料理が全て失敗したかというと、一つだけ例外がある。
お好み焼きである。


だが、お好み焼きにおいてキャベツは殆ど原型をとどめていない。
原型をとどめた料理ではまず失敗している。食べられないことはないが、美味とは言い難いものが仕上がる。栄養摂取だと割り切り胃に収めれば問題はないが、食事と思うと味気ない。


なぜ失敗するのか。
原因は2つある。量の調整の難しさと水分の多さである。
キャベツはあの葉が重なった丸いフォルムゆえに手のつけどころが難しい。剝がして使っていくと最後に残った小さな球体をどう処理するか悩む。とはいえいきなり球体に切り込んでいくと、(私のスキルが低いだけかもしれないが)切った後の大きさが不揃いになってしまうことが多い。
そしてレシピには何枚とか何gとか量が表記されているが、何枚にせよ何gにせよどれほどのものかよく分からない。1枚1枚の大きさは千差万別であり、我が家にははかりがない。お手上げである。
その結果、素人判断で量を見積もり、調理を終えるとべちゃべちゃになっているというのを幾度繰り返したことか。大は小を兼ねると聞いたが、こと料理においてはそうでもないらしい。


以上の話から導かれるキャベツとの正しい付き合い方は、「全てお好み焼きにする」である。量を少なめに見積もるとか、はかりを買うとかいった異論は認めない。
やれやれ。

断食二日目

断食と申しましても朝昼ご飯をほぼ抜きにしているだけなので、果たして胸を張って「断食している」と言えるかは疑問ですが、それはさておき。


飯を断って分かったのは、食欲が満たされないと食べ物のことばかり考えるということであります。いちおう夜は食べると決めていたので、ひたすら夜が待ち遠しくなります。行動としては、時計を30分に1度は見るようになります。また、エネルギーが供給されないので激しい運動やら緻密な思考やらは無理ですが、散歩したり漫画を読んだり将棋ウォーズで遊んだりして一心に時間を経過させようとします。


そうして漸くたどり着いた夕飯は美味しい、かと思いきや、最初の一口以外は普通です。ただ、最初の一口のワクワク感は凄まじいです。何と言ってもn時間ぶりの食事です。耐えに耐えた空腹を解消できると思うと天にも昇る心地です。


しかし、最初の一口を限界まで咀嚼し存分に味わって飲み下すと、それ以降は打ち上げ花火が散ってしまったかのように普通です。平坦です。もしかしたら胃の消化能力が衰えているかもしれないとビビって噛む回数を増やすことを意識するくらいで、あとは淡々と食べています。


そして食後は「空腹に振り回された一日だった」と反省することになります。それが現在です。しかしながら余計なことを考えずにいられたという意味では悪くなかったかもしれません。やはり土日とも一人でいると何かとごちゃごちゃ考えるものですから。


何も考えたくない日は断食という選択肢もあるということを学びました。

断食

自炊の話をした直後の記事が「断食」とはこれ如何にと思われる向きもあるやもしれませんが、こちらには浅い事情があります。


というのも、巷で紹介されているレシピというものは大半が2人前以上です。そちらに対して当方は紛う方なき独りであります。咳をしようと天井をじっと眺めようと独りです。一緒に食べてくれる人はいません。
するとどうなりましょうか。


保存するか、どか食いするか、どちらかになりましょう。時に前者、時に後者を選択してきましたが、食べ物には賞味期限とか消費期限とかいうものがありまして、その結果どうしても私の胃のキャパシティをオーバーする日々が増えてきました。


胃に負担がかかると各所に不調をきたします。それでいて不思議なことに、食欲は一向に衰えません。そして欲望の赴くままに食べ散らかしたところ、アトピーの悪化により私の右手が崩壊してしまいましたので、「こりゃイカン」となったわけであります。


幸い指先だけはそこまで朽ち果てていないのでタイピングは問題なくできるのですが、物を持つにも不便であり、何より買い物のときにレジの方にドン引きされていたのが地味にショックだったので、元通りの右手を取り戻すべく手段を尽くすことにしました。
その第一歩が断食であります。といっても完全に何も食べないと死にますので、最低限の栄養は摂取します。


あとはなるべく水仕事をしないとか睡眠時間を確保するとか。なぜか左手は無事ですので左利きになるという選択も一瞬脳裏を過ぎりましたが、自分、不器用ですけん。というか、右利きだから何かと使う右手が荒れているのであって、左利きになっても左手が荒れるだけだと思います。


というわけで、右手を修復するべく一週間ほどは慎ましい生活を送ります。

困ったらご飯のことを考えよう

私は自炊には2つの目的があると思っていました。


① 食費を浮かすため
 「一人暮らしなら米さえ炊けば惣菜でも自炊でも出費に大差ない」という言説をたまに耳にしますが、スーパーの半額タイムを正確に押さえてでもいない限り、やはり惣菜よりは自炊のほうが安いように感じます。

② 健康のため
 最近は野菜も充実していますが、惣菜ですとメインのおかずと野菜が分かれていることが大半です。2品買うと出費も大きく、また片付けもちょっとだけ面倒になります。その点、自炊なら1品でおかずと野菜を兼ねることが可能です。


とは言ってもこの2つの目的のためだけであれば、上手にやりくりすれば惣菜でも代用可能であるように思います。


しかし、自炊にはもう少しメリットがあることに気づいてきました。以下の2つです。


① 辛い時に何を作るか考えることで現実逃避できる
 「食べることは生きること」という言葉もありますとおり、食べることを考えていると多少は生きる意欲が湧いてきます。過去への後悔や未来への不安に襲われてグロッキーになっていても「夕飯は何を作ろうか」とクックパッドを検索したり飯漫画を読んだりしている間はゴチャゴチャ考えずに済みます。

② 生産的なことをしている気分になれる
 出来はともかく自炊によって料理が生まれます。あまり形あるものを生み出す経験は日常ではしませんので、ちょっとだけ達成感があります。


書いているうちに他にも「洗い物をしている間、無心になれる」とか「辻褄を合わせる能力が身につく」とかそういうことも自炊のメリットとして浮かんできました。
自炊、意外といいものです。

頭を動かす

たまに「頭が悪くなったなあ」と思うのですが、それはいったいどういう意味なのでしょう。


ぱっと思い浮かぶのは記憶です。
しかしながら短期記憶はそれほど衰えていないように感じますので、長期記憶が劣化したということで「頭が悪くなった」と思っているのでしょう(他人事のように)。
ところが、確かに以前は長期記憶に蓄えられていた−主に受験で詰め込んだ−知識は使わないうちに段々と薄れているものの、長期記憶する能力が衰えているかは定かではありません。悲しいことに目の前の業務を片付けることに没頭するばかりで使っていませんから。
一説によると長期記憶は加齢によってそれほど衰えない(むしろ短期記憶が衰える)らしいので、そうだとすると、それほど悲観する必要はないでしょう。知らぬ間に短期記憶がお粗末になっていることを恐れるべきかもしれません。


次に考えられるのは計算の速さです。
しかし、「計算の速さってなんぞ」と考えると、記憶の出し入れや組み合わせの速さに帰着するように思います。
そして記憶の出し入れや組み合わせの速さは訓練次第でどうとでもなることが大半です。


そう考えていくと「頭が悪くなった」はただの何もしていないことに対する言い訳ということになります。
言い訳も時には大事ですので、一概に否定されるものではありませんが、どういう時に「頭が悪くなった」と思うのか自覚し、どういう意味か分析して、手を打つのであれば手を打たないと、ただの愚痴でしかありません。
私の場合、以前に比べて地道にコツコツと積み立てる努力を怠っていることに対する嘆きであることが多いように感じますので、大きな目標を立てて少しずつそれに近付くよう努力すれば「頭が悪くなった」という思いを払拭できそうです。
ま、それが簡単ではないのですが、言い訳はほどほどにしておかないと底なし沼にはまってしまいますから。

手を動かす

私の場合、手を動かすことを厭い始めたら相当に精神的に参っている可能性が高いです。
いや、本当にその作業が無駄でしかないこともあるのですが、何かと理屈をこねても突き詰めれば「面倒だ」という理由で億劫がっているのであれば、99%メンタルがキテます。
おまけに、動かないと、気分というのはどんどん沈んでいきます。


というわけで、多少だるいと思っても自炊をすることにしました。
手を動かせる上に食も多少は充実するので一石二鳥です。半分置物と化していた冷蔵庫も活かせるので一石三鳥か。
惜しむらくは以前に紹介したとおりホットプレートしか調理器具がないことですが、それもホットプレートの限界に挑戦できると前向きに捉えられなくもありません。というかフライパンと鍋の機能は果たせるので一口コンロと大してできることは変わらな(ry



あんまり意気込むとそれはそれで疲れるので、ぼちぼちやっていきます。

ゆるふわ祭り

私はあまり祭りが好きではありません。
なぜか。


一つ挙げるとすれば、これまで参加してきた祭りに良い思い出がないからでしょう。
学生の時の体育祭や文化祭は祭りの実行委員と一部の熱心な方々が勝手に盛り上がっているという印象でした。
ボイコットするほどではありませんでしたが、不祥事も多く、他人に熱意を強制する雰囲気はどうにも理解しがたかったです。


しかしながら、今回GWに便乗して見物してきた祭りは非常に楽しめました。
恐らく距離感が良かったのでしょう。基本は部外者ですが、友人が祭りの主催者側と少し関わりがあり、酒盛りに混ぜてもらったり凧揚げを間近で見たりできました。聞くと主催者側は3日間フルスロットルで動くようなので、そうなると辛いところですが、ちょっとつまみ食いできるなら祭りとはいいものです。今回は与えられるばかりで某参加企業にお金を落とすくらいしか恩返しできませんでしたが、まあそれくらいのゆるふわ感がいいですね。


完全に祭りへの苦手感を克服できたわけではありませんが、私が楽しめる祭りもあると知ることができたということでGWの一つの成果ではありました。友人に感謝。